第24回青年医師交流集会

 2015年12月4日(木)~5日(土)に宮城県松島町でおこなわれた青年医師交流集会は約180名の参加者が集い、「災害医療」をテーマに行われました。

 

 2年に1度おこなわれる青年医師交流集会は、宮城県塩釜市の坂総合病院からワークショップの講師を迎え実際の災害医療マネジメントを学び、誰もが遭遇する可能性がある災害医療について考える第一歩をふみ出すことを目的として行われました。私たち民医連の事業所の中には台風や洪水被害などの災害時の医療支援をきっかけに生まれたところが少なくありません。そしてこの間も地震や火山噴火、集中豪雨による洪水など、さまざまな災害時の医療支援を行ってきました。

 

 今回の青年医師交流集会の開催地である宮城県は、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けました。宮城民医連坂総合病院は、震災直後から災害医療拠点病院として、多くの被災者を受け入れ、医療的な処置はもとより避難者の援助や行政への対応など、さまざまなかたちで被災者の支援にとりくんできました。このような災害時の医療活動には、通常時の外傷等の基本的な救急診療に加え、多様な医療チーム等との連携を含めた災害医療マネジメントが必要となるほか、日頃から災害を想定した体制づくりや物資の備蓄、災害対応シミュレーションによる訓練実施など、災害医療に対する日常的かつ意識的な備えが必要となります。

 

 

 

■スケジュール

【12月4日(金)】

 

9:00~9:50

開会・全体会

開会挨拶(五十嵐謙人 実行委員長)
全日本民医連挨拶(平田理 全日本民医連理事)

東日本大震災と坂総合病院(坂総合病院 佐々木隆徳医師)
アイスブレイク(千葉茂樹医師) 自己紹介

9:50~10:00

移動

10:00~12:00

WS① 避難所開設(坂総合病院 矢崎とも子医師)   

WS② 災害救急(坂総合病院 佐々木隆徳医師)   

12:00~13:00

昼食休憩

13:00~15:00

WS① 避難所開設(坂総合病院 矢崎とも子医師)   

WS② 災害救急(坂総合病院 佐々木隆徳医師)    

15:00~15:30

休憩30分

15:30~17:30

記念講演  岸田直樹医師 
「災害のときこそ役立つ!誰も教えてくれなかった風邪の診かた」

18:30~20:30

夕食交流会 

21:00~24:00

二次交流会

   

【12月5日(土)】

内容

 

8:20出発

9:00出発

9:00出発

9:00出発

フィールドワーク

(イ)石巻コース

(ロ)仙台市あすと長町コース

(ハ)名取市閖上コース

(ニ)松島コース

12:00~12:30

閉会・全体会

フィールドワーク報告

まとめ・閉会挨拶(那須智彦医師)

 

 

 

■ワークショップ①避難所開設(坂総合病院 矢崎とも子医師)

 東日本大震災で自身が経験した避難所での支援のお話と、それをもとに開設にあたって経時的にどのようなことが求められるのかワークショップをおこないました。

 

(被災時の状況について)

震災後、近くの避難所になっている小学校に事務職員と一緒に向かった。既に1,000人以上の避難者が来ており、体育館は泥だらけで床に敷く段ボールも無く1人のスペースは1畳程度であった。避難所で最初に出会った人たちは外傷の方が多く、化学薬品で熱傷を受けた方、、濡れた靴を履き続けて蜂窩織炎で入院した方もいた。避難所は混とんとしており、体育館ではスリッパが配られていたが、1人のスペースは毛布1枚分で仕切りは無い状況であった。避難所によっては食べ物も無いところや、敷物が無いところなど、環境に大きな差があった。とても避難所にはいられないと、壊れた自宅に帰る人もいた。被災当初は重傷者、透析患者、糖尿病患者などの拾い出しが主な仕事であったが、4~5日目になると定期薬切れ、不安不眠への対応、その後は足湯やマッサージ、心のケアなど日が経つにつれ仕事内容も変化していった。

 

坂病院にはすでに多くの全国からの支援の車が到着しており、特に関西からの車が多かった。阪神大震災の時の支援があったからだろう。支援物資、メッセージが多数届き、医者412名、看護師742名、総勢2,612名(~5/31)の方が支援に来られ、最大120名の支援者を受け入れた。受け入れ側の坂病院では支援者のチーム分けや薬や物品の管理、地理的状況などの情報通達などが主な仕事で、医者も医者という仕事にこだわらず、必要な仕事をするという状況であった。

 

民医連の特徴的な取り組みでは、被災者は体調が悪くなったり、薬が切れた時にしか来なかったり、なかなか状況を話したがらない(土地柄?)方が多かったが、足湯(坂病院でお湯をわかして)をすることで、みんなの心が和み、色々な状況を聞き出すことが出来た。その他、自治体は動いてくれなかったので、更衣室を支援者で作ったりもした。また、交通網が麻痺している中、全日本民医連(東京)から坂病院まで1日1便バスを出していて凄いと思った。

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(避難所開設机上訓練)

避難所を開設する小学校に2,000人の避難者が玄関前まで押し寄せているという設定をし、①津波の被害を受けた地域で、高台にある小学校の体育館の管理運営を任されている。②準備するべきこと、必要物品。③ライフラインは全て止まっている。という条件で、まず何を考えるかというお題で各グループ15分間ディスカッションしていきました。

 

 まず初動として参加者からは避難する側の立場では段ボール、水、服、タオルなどが必要、避難所側としては案内板、医療物品など準備する、名簿、紙、ペンが必要、役割分担(本部、責任者、設営係、トリアージ係、情報収集など)、校舎の保健室などからの物品を集める、情報収集(他の避難所など)、発電、無線LAN(ポータブル)があればパソコンも使える、暖を取るもの、水、校舎のカーテン、バイタルを測るもの(血圧計)、土足禁止、トイレ(水が使えない)⇒穴を掘るなど、誰が来たかわかるための掲示板、自治体に避難場所の連絡、情報の発信などの意見が挙げられます。矢崎医師からは、先ずは、運営本部の設置、トイレ対策(ビニール袋、新聞紙)が一番重要と実体験から話します。学校にはプールがあるのでその水をトイレ等に利用する。そのためにバケツやペットボトルを用意する。また、トイレの際、小と大を分ける(小はペットボトル)事で臭いをだいぶ軽減することが出来る、そして衛生管理(土足禁止・消毒)でスリッパの用意などが必要などの補足がありました。

 

 医療者としての対応については着の身着のまま避難してきた人の中にいる、医療を必要とする人を探し出す、相談窓口(人、場所)の設置、透析患者やインスリンを使っている方、妊婦の問いかけなどを行う、周りで動ける人(一般)の協力を呼びかける、問診票の準備などの意見が出されました。矢崎医師からは、避難者の中から医療関係者を集め医療チームを作ることも一つの方法と助言がありました。

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 豊かな創造力をもって、置かれた状況下で求められているものを見つけ出し、自らが出来る事を考え実行する力(職種に関わらず)が重要です。日常的な顔の見える環境づくり(あの人に頼めばこれが出来る!)がいざという時に非常に役立つので、普段から意識して取り組むことが大事だという言葉でワークショップを締めくくりました。

 

 

■ワークショップ②災害救急(坂総合病院 佐々木隆徳医師)

 佐々木医師ははじめにトリアージについて説明し、一人でも多くの人を助け、みんなが幸せになるために患者を短時間で各重症度に合わせて振り分けることだと話しました。5人1グループの班ごとにSTRAT法の実習をおこないました。患者の歩行の有無や呼吸回数、橈骨動脈や心拍数を確認して、黒、赤、黄色、緑の各ブースに30秒以内に振り分けます。その後2次トリアージの実習もおこない、1次トリアージで診た患者のより詳しい情報を元に診断し、再度トリアージタッグに記入していきました。佐々木医師はトリアージのポイントについて、一次トリアージでは1人の患者を短時間で判別すること、最初は重症度を高く見積もって、経過を見ることでまた変わっていくこともあること、そして災害時の一次トリアージは若手の研修医にやってもらい、ベテランの医師は各ブースに振り分けられた患者の治療をしてもらうことが効率的であると説明されました。

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■記念講演  講師:岸田直樹医師  「災害のときこそ役立つ!誰も教えてくれなかった風邪の診かた」

 風邪に対して、まず、「風邪ってなんですか?」と題し、グループでディスカッションしながら風邪の素朴な疑問を深めます。風邪の定義は全世界で統一したものがなく曖昧になっていること、医学書では明確に書いていなく、ウィキペディアは断言していることもある事などアメリカで医師は2次資料で使用していることもあり、風邪は薬局で見ることなど世界によって異なることなどがあること、また今日は1歩出た瞬間に「こんな診療は絶対しない」と約束してほしい、「もうカルテに急性上気道炎と書かない」と約束してきちんと分類してほしいなど質問形式で行い、参加者が飽きない様な講演内容でお話されました。

 

 診断に対し、可能な限りシンプルに分類する、努力することが大切であり、それがあったうえでバリエーションを覚えることが重要なこと、風邪は、ウイルス性上気道感染症のみを指し、そこから考えていくこと、風邪か風邪ではないのかしっかり見極める大切さ、感染性かそうでないか、医師の役割、3つの症状チェック「鼻炎症状」「咽頭炎症状」「下気道」何気ない作業でウイルス性の特徴を知ることが大事なこと、シンプルに定義することで、他疾患との区別、「細菌性副鼻腔炎」「肺炎」「溶連菌性咽頭炎」など特に細菌性かウイルス性かの判断に役立つこと。急性上気道炎と言ってよい時と、よくない時をはっきりさせ、その定義による区別から見逃してはいけない疾患群も理論的に区別できるようになることが必要とお話されました。後半では、実際に症例を交え、風邪か風邪でないのか?講演を聞き、診断できるのか実際3症例を上げグループワーク形式で行いました。最後にセルフケアの指導も必要なこと、風邪を診られるようになる為にはまずは「知る」ことが大切だとお話されました。

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(夕食交流会での様子)

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■フィールドワーク

(イ)石巻コース        

 佐久総合病院の第一線で診療に従事していた長純一医師は、被災地であった石巻市に働きかけ、2012年に石巻市立病院開成仮診療所を開設しました。長医師は医療だけでは被災者を支えることはできない、介護や福祉、コミュニティの在り方などにもフォーカスする必要があると語っており、今回診療所を訪問し長医師より直接お話しを聞きました。 講演では、医療だけではない開成仮診療所の目的と活動や石巻市の地域包括ケアシステムや、仮設住宅から復興支援住宅への移行の課題等についてお話しされ、最後に「これからの日本の医療の課題と被災地で学べること」について触れ、地域医療に興味のある後期研修の受け入れを、拡充していく予定であるとのことです。

 

 参加者からは■「開成仮診療所の長先生のお話は、佐久の農村医療から地域包括ケアまで幅広く深い内容であった。今後自分たちが行っていくべき医療について考えさせられた」■「医療は社会的適応であるという話は印象深い。今学んでいる医学知識を患者の治療や生活にどう活かしてしていくのか、その視点をしっかり持って、初めて医療が行えるという話は、技術・知識ばかりを求めてしまう自分にとっての戒めだと思い、身を引き締められる思いだった」等の意見が聞かれました。

 

 講演終了後は、津波の被害が大きかった石巻市の南浜町・門脇町(石巻市立病院跡地付近)に立ち寄り、旧門脇小学校や、東日本大震災伝承施設「南浜つなぐ館」等の見学を行いました。 

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(ロ)仙台市あすと長町コース 

 仙台市あすと長町仮設住宅集会場で元自治会長による住民による健全なコミュニティ形成を目指して活動してきた経験を聞きながら、医療者は地域医療のためにどのように関わっていくかを考えました。仮設住宅集会場へ向かう車中で長町病院の被災状況、津波が押し寄せる中逃げ惑う人々の映像を見ながら、南三陸出身の坂総合病院千葉先生から当時の状況が語られました。集会場では、元自治会長飯塚さんより住民によるコミュニティ形成を目指して活動した経験が語られ、被災→避難地→仮設住宅→復興住宅と何度もコミュニティを作らなければならず、その度に孤独になる、と言います。震災で更地になり開発がすすみ大きな建物が建つ中で、被災者は取り残されまだまだ問題は山積しています。

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(ハ)名取市閖上コース 

 閖上地区でははじめにNPO法人「閖上の記憶」の資料館を訪問しました。この施設は慰霊碑を守る社務所であり震災を伝える場所として、地元住民を中心に発展しました。プレハブの館内には震災前後の空撮写真や小学生が作った町並みのジオラマが飾られています。同施設では震災時の状況を映したDVDを鑑賞後、館長の小斎正義さんは「閖上は沿岸部でも今まで津波は来なかったため、今回も津波が来ないと思ってみんな逃げ遅れた。地区住民700人以上が犠牲になった」と話します。その後、閖上地区が見渡せる日和山に行き、当時の状況について説明を受けました。東日本大震災で8メートルの津波が来た時の爪痕が日和山にある木に残っていたことから津波の高さが分かったとのこと。名取市が建てた「東日本大震災慰霊碑」は8.4メートルに設定されており、当時の津波の高さに合わせたものになっています。この慰霊碑を未来まで引き継いでいくことで、震災の記憶を次の世代まで伝えることを目的としているそうです。

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(ニ)松島コース 

 日本三景である松島の街を散策しました。松島湾を周遊する遊覧船に乗船し、島巡りとカモメと群れる者もおり、日頃の忙しさから解放され海の上で楽しく気分転換ができました。江戸時代からの景勝地である松島の散策。瑞巌寺、円通院、五大堂など歴史あるお寺等を中心に見学ができ、カキや牛タンを食べながら、ゆっくりと時間を過ごしました。松島の津波災害の影響は、他の地と比べ少ないと言われていますが、各々の島が津波を和らげ大被害に至らなかったそうです。それでも住宅のあるところはここまで津波が到達したとの石碑が建立されていました。

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