丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター
以前、妊婦健診で胎児の性別を質問されることに関する苦悩をご紹介しました。「男ですか?女ですか?」という質問以外にも、私たち産婦人科医を悩ませる言葉があります。「赤ちゃんの異常がわかる検査、受けたいんですけど」「親に、障害がある子ならおろせと言われてます」など、何とも返事に困ります。この質問は「異常、障害とは何か?」という問題と「出生前診断」の問題を含んでいます。この秋には「99%の精度でダウン症がわかる新しい検査が導入される」という報道があり、ますますこの手の質問が増えています。この新しい検査に関しては、現在様々な議論がなされています。悩み深い問題で、私自身も簡単に答えが出せませんが、今回は、出生前診断に関する私の思うところを書きたいと思います。いつもより少々専門的用語や難しい内容が多いですがお付き合いください。
先の性別もそうですが、どうも妊婦さんや世間の人達は、生まれる前に赤ちゃんの情報が何でもわかると思っている人が多いようです。そして、100%異常を持たない完全な人間が存在しているとも思っているようです。
まず、100%何の異常もない人間は存在しません。これは、哲学的な意味ではなく、全ての人は何らかの遺伝子異常を持つ、という科学的な意味です。生物学で習ったように、染色体は2本で一対ですから、その一方に異常遺伝子を持つだけでは、劣性遺伝で発症する病気の場合発症しません。ですから、全ての人は何らかの遺伝子異常(遺伝性疾患の遺伝子)を保有しているけれど、発症していないだけということです。ちなみにDNA発見のワトソン博士の全ゲノム解析でも11の疾患遺伝子を持っており、そのうち4つはホモ結合(対立遺伝子が2本とも疾患遺伝子を持っている)であったが発症していなかった、と報告されています。
さて、次に「異常、障害」です。妊娠年齢にかかわらず、どの年齢の妊娠でも先天性の異常のある赤ちゃんはある程度の確率で生じます。平均すると305%と言われています。代表的な先天異常は心奇形、口唇口蓋裂、染色体異常、多指症などです。私達の病院でも、胎児形態異常スクリーニングを行っていますが、全ての異常がわかるわけでもなければ、全て見つけようと思っているわけでもありません。出生直後からケアを開始しなくてはならない異常がある場合、高度な周産期管理が必要であることが多いため、その準備のためにスクリーニングを行っているのです。超音波検査でわかるのは、胎児推定体重、ある程度の形態異常(全てではない)です。機能的な異常、聴力、視力、発達に関する異常は全くわかりません。
「赤ちゃんの異常がわかる血液検査」。この文章は、多くの肝心な単語が欠落しています。現在実施されている出生前診断の血液検査は、「赤ちゃんの、染色体異常のうちの21トリソミーの確率と二分脊椎などの神経管閉鎖障害がある可能性がわかる血液検査」であって、わかることは多くの先天異常の中で21トリソミー(21番目の染色体が3本ある:ダウン症候群)に絞りその確率と、ついでに神経管閉鎖障害の可能性があるかどうかということです。そして感度は63067%です。
冒頭に登場した新しい検査「99%の精度でダウン症がわかる検査」。これも、同じような検査ですが、ダウン症がわかるというより染色体の数が違う染色体異常をスクリーニングする検査です。
99%の精度と言われると、検査で陽性に出ると99%赤ちゃんがダウン症であるかのような、つまり診断が確定できるような印象を持ちます。しかし、正確な意味は、検査の精度は「感度」「特異度」であらわされ、この感度、特異度が99%であるという意味です。ある疾患を持つ人が陽性になる割合が「感度」、疾患を持っていない人が陰性になる割合を「特異度」といいます。検査には必ず偽陽性(本当は疾患がないのに検査が陽性)と偽陰性(本当は疾患があるのに検査が陰性)が生じます。なるべく疾患を持つ人を多く検出しようとすると必然的に偽陽性が多くなり、特に頻度の少ない疾患となるとますます偽陽性が多くなります。ダウン症候群の発生頻度は妊婦の年齢により違いますから、もし30歳の人がこの検査で陽性の場合、本当にダウン症候群である確率は計算上は50%、35歳だと75%、40歳で90%ということになります。そして、35歳以下の若年の場合実際のデータはありません(表参照)。
一方で、スクリーニングで陽性に出た妊婦は、羊水検査(確定診断)で染色体異常を否定された後も13%の人は不安感が持続し、この不安感は健康な子供が生まれた後も持続するという報告があります。スクリーニング検査を受ける多くの人は「安心を得たい」から検査を受けます。実際、産婦人科医の中にも、詳しい説明を一切しないまま「高齢妊娠だから染色体異常の血液検査をしましょう」と勧めることもあるそうです(東尾理子さんの時も、そうだったようですね)。医師は、少なくとも、実施前に、どのような検査か正確に伝え(何がわかり、どういう意味をもつのか)、ご夫婦に何のために検査を行うのか、検査が期待していた結果でない場合どうするのか、よく話し合ってもらってから検査を受けるかどうか決めてもらう必要があるのではないでしょうか。
それにしても、なぜダウン症候群がこのように目の敵にされるのか、私にはさっぱりわかりません。ダウン症候群は存在してはいけないのでしょうか。このことについては、また次回書くことにします。