研修医WEBマガジン 地域を「みる」 ― 中島 昌典 ―

慣れないことが多くつまずいてばかりでした。

現在、川久保病院で研修をしています。初期研修は埼玉協同病院でお世話になり修了しました。初期研修が始まった頃は慣れないことが多く、つまずいてばかりでした。もともと積極的な性格でなかったため、患者さんの心情・病態にどこからアプローチしたら良いのか、退院を目標にどのように段階を踏んでいけば良いのかなど、悩むことが多々ありました。
研修の中で、地域の特徴を直につかむことが出来ました。

そんな中で2011年7月の1ヶ月間ユニークな地域医療研修を行いました。通例であれば、診療所で外来や往診を経験するのですが、私の場合は出身である岩手の川久保病院がある盛岡市・津志田地域で「地域診断」を行いました。地域診断とは、対象の地域を疾患だけでなく、町内会活動や購買活動、職業、人口統計など生活面、行政的側面から総合的に診ていき、施策の提起と実践、評価まで行うというものです(但し、今回の研修では提起まで)。

この間、私は白衣を着ることなく、病棟や外来で患者さんを診ることもなく、病院近隣地域の人口統計や犯罪発生件数を調べ、地域を歩いて、あらゆる施設の分布や交通事情を見て回り、実際に住民の方、地区担当の保健師さんやコミュニティーの場となっている老人福祉施設を訪問しました。限られた期間の中ではありましたが、研修の中で、地域の特徴を直につかむことが出来ました。

患者と地域に役立つ医療こそ、民医連の使命。(診察中の中島先生)
医師として、ひとつ広い視野をもって患者さんと接することができるようになりました。

地域診断を行うまでは、この地域は若年層が比較的多く、医療機関、購買施設も大型店舗を中心に十分で、自分としては住みやすい町だと思っていました。実際は若年層の出入りが激しく、定住している一人暮らしの高齢者などにとっては住みづらい点が多く、同じ地域内でも大きな道路一本隔てただけで個々のライフスタイルに大きな影響があったり、コミュニティーの観点からも退職世代(特に男性)を地域交流の場にどう繋げていくかという課題があることがわかりました。それら全てが地域全体の健康問題にも深く関わっているであろうことをみてとることができました。

それ以上にこの研修で得られたことは、「疾患そのものだけではなく、住民の皆さんを診ていかなければならない」ということでした。普段病院で、受診に来る人や入院患者さんばかり診ていると、その方が普段どんな暮らしをしていて、体調が良いときはどんな方なのかを考えていない自分に気が付きました。そうすると、受診された患者さんについて「もっと知りたい」という意識が芽生えてきます。医師として、ひとつ広い視野をもって患者さんと接することができるようになりました。
住民の皆さんの健康を考えることの出来る医師を目指していきたいと思います。

今回は1ヵ月間の地域医療研修についてお話をしましたが、日常的に地域の中により深く踏み込んでこそ、地域医療をより実感できるのではないかと思います。また、臨床研修で主体的に患者さんに向き合い、診断・治療していくことは、患者さんはもちろん、自分自身の医師としての成長のためでもあります。だからこそ、ノウハウやスキルだけでなく、主体的に患者さんに向き合おうとする姿勢が研修の充実につながります。

ノウハウだけでなく、よりアカデミックな臨床研修をしていけるように取り組んでいきたいと思います。
自分自身が成長していかなければ示しは付きませんが、本当の意味での主体的で、住民の皆さんの健康を考えることの出来る医師を目指していきたいと思います。

Message ― メッセージ ―

病気に向きあうのではなく、患者さんに向き合う姿勢が大事

― 中島 昌典 ―
Profile

2010年3月に埼玉医科大学医学部卒業。2010年4月より埼玉協同病院で初期研修医を務める。2013年4月より岩手・川久保病院にて研修開始。
○趣味:音楽鑑賞、映画鑑賞
○医学生へ一言:埼玉もしくは岩手で一緒に働いてみませんか。そして良い研修・良い職場を作っていきましょう。

研修医WEBマガジン わたしの原点 ― 山本 美奈子 ―

病院との出会いは遡ること二十数年前

私の働く愛媛生協病院は80床の急性期病院で、「日本で一番小さい臨床研修指定病院」と言われています。私とこの病院との出会いは遡ること二十数年前、小児科へ連れてこられた幼い私は、熱にうなされながら白い悪魔(白衣を着た小児科医である現院長)に注射を打たれそうになり、「痛いことしたら泣いちゃうよ」と脅し文句を言いました。すると悪魔は動じることなく、「泣いても痛いの変わらんよ〜」と真顔で答え、情け容赦なくブスッと一突きしたのです。

泣いても喚いてもどうしようもないことが世の中にあるのだと悟る貴重な経験でした。母が職員だったこともあり、それからずっと私のかかりつけはこの病院です。高校時代に「高校生1日病院体験」の企画に参加し、医師という職業に興味を持ちました。愛媛大学医学部に進学し愛媛民医連の奨学生となり、卒業後愛媛生協病院に入職し、初期研修を終えて家庭医療後期研修医となり現在に至ります。だいぶ端折りましたがこうして私と病院はいっしょに歩んできたわけです。
検査や薬剤の費用負担も考えてオーダーを出すことも重要なのです。

最近同級生の結婚ラッシュが続いています。ご祝儀などで出費はかさむものの、他病院の医師達と話ができる機会はとても貴重です。その中で、外来カルテが回ってきたらまず何を見るかという話題になりました。たいていは主訴、バイタルサイン、既往歴、他院での服薬内容などが挙がるのですが、私は迷わず「住所と保険!」と言いました。残念ながらあまり賛同を得られませんでしたが、家庭医としてはとても重要な視点だと思っています。

住所を知ることでその患者さんがどうやって通院しているのか、連れてきてくれる家族はいるのか、頻回に受診ができるのか、近くに買い物できる場所があるのかなど生活背景を考えるきっかけになります。そして保険です。医療費が何割負担なのか、ひとり親家庭や重度の心身障害児・者、生活保護世帯の方の場合には、これまた違う視点が必要になります。必要な検査や処方はしなければなりませんが、検査や薬剤の費用負担も考えてオーダーを出すことも重要なのです。
答えを出すのは難しく、考え続ける毎日です。

忙しい毎日ですが、時々思い出す患者さんの言葉があります。医師としての私の原点だと思っていますが、前述した高校生1日病院体験で出会った患者さんの一言です。その日はとてもよく晴れており、明るい病室の中、車いすに座った高齢の男性患者さんの足浴をしながら世間話をしました。その患者さんの顔も名前ももう思い出せませんが、彼がしみじみと言った「わしはここしか知らんけど、ここが一番ええ。先生も看護婦さんもみんな優しい。神様みたいじゃ」の一言は忘れられませんでした。

そして時々自分に問いかけます。今の自分、今の生協病院に対しても、彼はそう言ってくれるだろうか? と。医療を取りまく状況は年々厳しくなり、医師不足も深刻で、研修医ですら病院経営を考えなければならなくなってきています。そんな中、患者さんやその家族が置き去りにされているのではないか、自分は本当に安心できる医療を提供できていないのではないか、と感じることがあります。ではどうすれば良いのか? 答えを出すのは難しく、考え続ける毎日です。
答えが出なくても考え続けることこそが大切

皆さんに伝えたいことは2つです。考える医師になってほしいということ。そして優しい医師になってほしいということです。私にとってあの男性患者さんの一言がそうであるように、皆さんにもきっと原点・出発点があると思います。この先迷うことや辛いこともたくさんあると思いますが、その時の気持ちが自分を支えてくれます。答えが出なくても考え続けることこそが大切なのではないでしょうか。そしてこれが一番難しいのですが(汗)、どんな時でも患者さんにもスタッフにも優しくいられる、そんな「強さ」を持ってほしいと思います。
Message ― メッセージ ―

自信を持って、『家庭医です』と言えるような
医師になりたい。

― 山本 美奈子 ―
Profile

○所属:愛媛民医連/愛媛生協病院/内科・家庭医療科/後期研修医(2008年4月~)
○経歴:2006年3月 愛媛大学医学部卒、2006年4月 愛媛生協病院(初期研修医)
○趣味:漫画、子どもの絵本集め
○医学生へ一言:「その人の全部を診たい」と思い家庭医療の研修を始めて早5年。その奥の深さに圧倒される毎日ですが、とても充実しています。家庭医療に興味のある方は是非見学にきてください。

病院にやってくる人だけを 診るのが医療じゃない ― 伊藤 洪志 ―

訪問診療の世界を知って感じた
すぐ間近に潜む見えない患者の存在

私が医師を志したのは高校生のとき、祖母の訪問診療やデイサービスの現場に立ち会ったことがきっかけです。特に訪問診療という分野は自分がよく知らなかった世界。学生時代の実習でも特に印象に残った部分です。普段自分が何気なく通り過ぎている街や家の中に、高齢者や病気を抱えた人、寝たきりの人がいるということは、それまでに意識していなかったことでした。

特に今所属しているやまと診療所は高齢者の患者さんが多いのですが、訪問診療を通して「病院にやってくる人だけを診るのが医療じゃない」と感じるようになりました。また、世の中には経済的、社会的な問題を抱えて簡単に病院には来られない人もいます。そうした人も見捨てないのが民医連の医療ですが、「そんな理念を掲げた病院に入りたい」その思いで今の病院を選び、外来や訪問診療にあたっています。
相手との信頼関係づくりの大切さを学んだ
初期研修時代の“看取り”

初期研修は千葉の東葛病院で行いました。そこでは医師としての初期対応はもちろん、患者さんに対する姿勢についても学びました。ある癌患者さんに対し抗癌剤治療を行なうことになったのですが、薬を投与して1週間ほどで急変されて亡くなってしまったのです。最後は3日ほど泊まりこんで様子を見ましたが、医師として命の重みを強く感じた時間でした。同時に、良かれと思った治療でも、結果的にそうはならないこともあるという事実を目の前につきつけられたショックもありました。

しかし、自分が関わった患者さんで唯一解剖の承諾をいただいたのもこの方です。家族にしてみれば解剖に応じるのは容易な気持ちではないと思います。でもそれを許していただいたことで、自分が医師として相手と信頼関係が作れたのだと感じることができました。研修医でしたから多くのことができた訳ではありません。しかし、自分の心が重くても足を運び、患者さんにはできるだけのことをしなければなりません。そして医師である以上、家族にも信頼してもらえる存在にならなければいけない、と強く感じさせられた出来事でした。
離島研修で得たものは医療に対する広い視野

2013年3月に、沖縄の伊平屋島に1カ月間離島研修に行きました。人口約1300人、島の海岸線は34キロほど、医者が1人、看護師が1人の小さな島です。住んでいる人はさまざまで、子どもが都会に出ていってしまって独居になった高齢者はもちろん、中にはサトウキビの収穫期やモズク漁の時期だけ働きに来る季節労働者もいます。診療所に訪れる人も大人から子どもまでさまざま。中には無保険の人もいました。季節労働者の仕事は大変ですが、こうした人の中にも健康問題を抱える人がいて、若い人の働き方が健康問題にどう影響するのかといったことも考えさせられました。

小さなコミュニティだからこそ、社会の問題が凝縮されて見えてきて、トータルな医療の必要性について考えるきっかけになったと思います。いまの診療所では高齢の患者さんが多く、どうしてもそこ中心の考え方になりがちでしたが、年代に関係なくさまざまな人を診た離島研修を経験してからは視点が変わりました。目の前にいる患者さんだけではなく、その家族まで含めて普段見えていない部分もケアする医療を考えるようになったのです。今後は子どもに健康教育を施す夏祭りイベントなども考えていますが、離島研修で得られた視点のおかげです。
困難症例には必ず原因がある

医師としてミニマムな部分を学んだ初期研修を経て、後期研修に入ってからは、より民医連の医療について深い部分が見えてきました。初期研修のとき、救急患者に夜中に起こされることもありました。最初は「なぜこんな時間に」と思うこともありましたが、経験を積むにつれてそういう人の中には他に問題を抱えている場合があるのだと次第にわかってきたんです。例えばDVであったり、認知症であったり、問題を抱えているせいで通常では考えられないような行動を取る方がいます。これらの人たちは見えていない部分になぜこうなったのか、という原因が必ずあるんです。

診療を断られる人もいるようですが、民医連の医療はそうした方を見捨てないで積極的に診ます。こうした医療の道に踏み込むには民医連の考え方に対する共感も必要です。しかし、自分が辛かったり、嫌だったりする感情を持ってしまうときの方が医師として学ぶことは多いと思っています。病気に至った労働環境や健康教育の不足といったことなど、原因は必ずあります。向き合う難しさがあるのも確かです。でももう少し社会が良くなるといいなと考え、努力を怠ってはいけないと考えています。患者さんも仕事も「断らない」。それが私のポリシーです。
Message ― メッセージ ―

複雑な問題を抱えた人に向き合う努力を惜しまない

― 伊藤 洪志 ―
Profile

2009年3月筑波大学医学群医学類卒業。同年4月より東葛病院にて初期研修を開始。2011年4から東京民医連中野共立病院に所属し、診療所研修でやまと診療所に勤務。2013年4月より副所長を務める。2013年3月には沖縄県の伊平屋島で離島研修も経験。
◯趣味:海外旅行
◯医学生へ一言:身につけたい技術や専門内容で選ぶ研修も大事です。その中でも困難な問題に挑む姿勢も大事にしてください。

専門研修を終えて ― 鈴木 健太郎 ―

1人前の医師になるのに10年かかる

「1人前の医師になるのに10年かかる」というのはその通りで、一昨年からの循環器・不整脈の専門研修を終えて、今やっと自分の専門性をピリッと効かしての診療ができている実感とやりがいをもって医師生活を送っております。両親が医師で最も身近な職種であったこと、また憧れもあったことが医師を目指したきっかけでありました。

親は特に「勉強しろ」「医者になれ」とは全く言わない放任主義で、4人兄弟の長男ということもあって、子どもながらに意識していたのだろうと今振り返ります。一般的に自身の職・生きる道を探し出すまでには経験や年月を重ね決断するのがよいのでしょうが、私たちの多くは18歳そこらで自らの進路を決め、大学の狭き門を目指しているのです。したがって医学部卒業後も医療の世界しか知らない若輩の自分が、時として患者さんの人生の岐路に関わるという、このギャップにはいつも悩まされています。
患者さんを支えているようで、実は自分も支えられている

大学卒業後、初期臨床研修を松江生協病院で2年間行いました。この2年間で医師として基本的な態度・技術を身につけ、子どもからお年寄りまでの一般的な疾患の対応あるいは救急初療法を身につけました。机上の知識から、いよいよ目の前の患者さんと向き合っての診療となり、医師の責務でお尻に火がついたように勉強やトレーニングに励みました(学生時代はあまり勉学に熱心ではなかった)。診察の裏で3分前に仕入れた知識を、患者さんにはさも医師の常識とばかりに解説してみたり、自転車操業な日々でした。

また慢性的な医師不足のために、医師は一人何役分も働いており、その分実労働時間が増え、最悪過労死という問題も生じています。そんな中で患者さんにお礼のハガキや手紙をいただくと、医者をやって良かったと感動します。医師として患者さんを支えているようで、実は自分も支えられているということに気づきました。医師2年目に内科、循環器内科を自分の専門として決意し、3年目以降は後期研修として内科全般の修練、つづいて循環器内科の研修へと移りました。
スペインのマドリッドで開催されたヨーロッパ不整脈学会で発表しました

循環器内科医をめざすなかで不整脈診療に興味を持ち、7年目からは専門施設での研修を行いました。その研修先の大阪市立大学附属病院は約900床で約30診療科を有し大阪市の天王寺駅前という好立地にありますが、大阪の光と影の狭間にある大学病院といっていいかもしれません。何故なら大学のすぐ裏手の地区は、生活保護世帯が大阪市平均4倍、全国平均11.4倍、結核罹患率が大阪市平均4.7倍、全国平均の12.5倍という地域事情を抱えるところです。

救急搬送や紹介されてくる患者さんに、経済的・社会的介入を要する方も少なくはありませんでした。病気だけでなく、患者さんの背景にまで目を向けるという民医連の理念を感じる大学でもありました。一方、大阪の患者さんは、いわゆる「大阪人」の、社交的で世話好き、時にせっかち、自己主張があったりと、島根人とは違う気質も感じました。

自分が島根からやってきて、大阪で学んだことを故郷にもって帰るのだと説明すると、「島根の先生」と愛称で、何かと応援をいただきました。そんな中で循環器症例、特に不整脈分野を数多く受け持ちました。重症心疾患に関連した致死的不整脈を多く経験し、カテーテル・アブレーション、ペースメーカ・植込型除細動器の植込術の第一執刀医を務め得るまで指導いただきました。研究分野ではブルガダ症候群(若年性の致死的不整脈をきたす疾患)を中心の研究テーマで、2回の国際学会の発表の機会にも恵まれました。
専門医のやりがいと自負をもって医師生活を送れています

専門研修を振り返って実感したことは、①同じ循環器、不整脈専門医を目指す同世代の若手医師らと仲間として研鑽できたこと②身近に第一線のエキスパートに接する機会に恵まれたこと③地域もシステムも異なる病院での診療経験④自分の生協病院で6年間培った医師経験や技量が一定評価されたことです。

これまで初期研修や後期研修でトレーニングしてきた総合内科医の点は、医師不足の地域病院だけでなく大学病院にも求められると感じています。専門研修を終えて、10年目の医師となり、専門家の自負とやりがいをもって医師生活を送れています。そして改めて医療生協の病院や民医連の良さを実感しています。

スタッフがより一丸となって支えてくれている点で働きやすさも感じます。内科医師として総合的な診療を、そしてサブスペシャリストとして循環器・不整脈診療は一味違う診療をもって健康問題の一助となるよう今後とも励んでいきます。ぜひこれから医師を目指す皆さんとも一緒に診療できたらと思います。
Message ― メッセージ ―

医学生のみなさん、総合性を担保した
質の高い専門医を目指してください。

― 鈴木 健太郎 ―
Profile

○所属:松江生協病院 内科・循環器内科
○経歴:2004年3月鳥取大学卒業、2004年4月松江生協病院 初期研修、2006年4月松江生協病院内科・循環器内科後期研修、2010年4月大阪市立大学医学部・附属病院循環器病態内科学 循環器・不整脈専門研修、2012年4月松江生協病院内科・循環器内科
○趣味・特技:音楽鑑賞、旅行

患者や家族の力になりたい ― 大野 草太 ―

患者さんにじっくり向き合うため熟考を重ねられる
精神科の道を選択

両親ともに医師であり、私も自然と同じ職業を選ぶことになりました。初期研修では大阪の耳原総合病院にお世話になり、さまざまな科をローテートしていきましたが、研修を進めるうちに自分の進むべき道が見えてきました。私はたくさんの患者さんを短時間で診ていくよりも、一人の患者さんに対して熟考し、どのような対処をすればいいのか慎重に見極め、治療を進めていく方が向いていると気づいたのです。それが後期研修医で精神科のプログラムを選んだ理由です。

治療について熟考する時間が取れることが最大の理由でした。後期研修では民医連の病院の中で精神科のローテート先である吉田病院を選択。現在2年目を迎えています。吉田病院は病院の雰囲気が自分にしっくりきて働きやすく、医師とコ・メディカルとの垣根が低いことも魅力だと思います。
看護師との相互協力なくしては
患者さんにより良い治療はできない

現在は外来の患者さんを診察しながら4つある病棟のうち、精神科救急病棟を受け持っています。ここは集中的な治療で早期退院を目指す病棟であり、3カ月で退院することを目指した治療を行っています。精神科に来て感じたことですが、ここでは看護師の役割が医師と同等かそれ以上に重いのです。医師が病棟で診察を行うのは週に一度。それ以外の日々は毎日患者さんに接している看護師が患者さんの状態をはじめ、変化があれば教えてくれます。医師はそうした報告を受けて必要な指示を出していくことも少なくありません。

つまり、医師と看護師がうまく関係を築くことができなければ患者の細かい様子が把握できないといった問題も起こり得ます。医師と看護師がそれぞれ患者さんについて意見を出し合いより良い治療の方向性を探っていくのはここの精神科ならではと言えるかもしれません。精神科の看護は力仕事が多いので男性も多いのですが、それも一般的な総合病院などとは違う点でしょう。しかし立場の違いなく治療についてさまざまに話し合えるこの環境が、私は気に入っています。
上から押し付けるのではなく大事なのは後押しをする気持ち

精神科の医師としてどう振る舞うか、考えさせられたエピソードがあります。ある患者さんは父親との関係が悪いことが問題で、入院に関しても患者は症状が不安定となり、父親からはスタッフに苦情が入るような状況でした。お互いの訴えにさらされ、振り回される状態になってしまった我々にもマイナスの感情が増殖していってしまい、スタッフが主治医に、主治医が患者に嫌な気持ちを向けていくといった具合に、いつしか負のスパイラルができてしまいました。

そういった状態に陥って、私は誰に対しても医師としての立場で指示的でありすぎたことを反省し、患者だけではなく自分を含めすべての人たちの情緒を捉えて対応しなければ、と気付かされたのです。病棟は家であり、そこにいる人たちは家族のようなものです。医師は上から目線で指示を出すのではなく、患者さんや困っている家族に対して少し後押しをするぐらいの気持ちで接することが大切なのだと痛感しました。

幸い患者さんは退院し、家族とも関係を修復されたと聞いて安心していますが、私にとって学ぶべきことが多い一件であり、その後の診療については広い視野を持って取り組むようになりました。
家族へのねぎらいや働きかけも精神科の医師として
重要な役目

後期研修も2年目に入りましたが、今のテーマは患者だけではなく、家族へも目を向けることです。精神科の治療では患者さん本人よりも家族としゃべることが多くなります。大変な思いをしているのは家族も同様。しかし家族が患者の症状の原因になっている例もあり、そうした場合の接し方も重要です。

医師として指示をするという形ではなく、家族を気遣いつつ、いかにあるべき方向へと導くかといった力が問われていると思います。しかしいろんな家族と会って話し、少しずつ関係を作っていく過程は楽しい時間でもあります。また、クリスマスや夏祭りなど、病棟ごとのイベントでは病棟からオファーを受けて医師が歌や踊りといった出し物を披露します。患者さんのストレスを軽減することはもちろん、看護師との絆も深まり病棟に一体感が出る瞬間です。

民医連には弱者に寄り添う姿勢ありきのスタッフが多く、私も初期研修ではそうした医師にたくさん出会い、仕事の物差しとしてきました。また、民医連で働くということは臨床の現場から体制に疑問を投げかけていくということでもあります。そうした民医連の姿勢や本質を伝えていける医師として成長していきたいと思っています。
Message ― メッセージ ―

患者さんと触れ合うことで
成長のステップを見つけていきたい。

― 大野 草太 ―
Profile

2010年3月岡山県の川崎医科大学医学部卒業。同年4月より大阪の耳原総合病院にて初期研修を開始。各科をローテートした後、精神科を志向し2012年4から奈良民医連吉田病院に所属し、後期研修を開始。
◯趣味:月に一度の登山
◯医学生へ一言:初期研修では2年間のローテートがあります。その中で自分は何が得意で何がそうでないかといったことを考え、得意な分野に注力することで自分に合った後期研修を選ぶことができると思います。

研修医WEBマガジン やる気の源 ― 井上 裕次郎 ―

どうしたら患者さんが望む理想の医師になれるのか?

私には学生時代にずっと考えていたある命題が存在しました。それは「どうしたら自分が目指す理想の医師像に近づけるか」でした。人によって理想の医師のイメージは当然異なります。私の場合はもともと自分の身近な人間を守りたくて医師を目指しました。年齢を重ねるにつれ、医師の仕事が社会的な意義が大きい仕事であると気づき、命題が「どうしたら患者さんが望む理想の医師になれるのか?」ということに変化してきました。そして医師となり2年間の研修の中で多くのことを学びました。
自分は医師に向いてないと心底落ち込んだ経験

その中で1番自分が嫌になった話をしましょう。1年目の冬の平日の夕方、緊急で入院した患者さんの担当になり、お話を聞くために病室に伺いました。その患者さんは高齢で、リウマチの既往があり、大腿部に難治性の化膿性関節炎があるのですが、手術で膿を取りだすことは体力的に難しいと考えられて、発熱と解熱を繰り返し入退院している方でした。前回の退院もほんの1ヶ月位前でしかも半年近くも入院していました。

担当となり、2週間ほどたったとき、突然、患者さんから担当医を変えてくれと涙ながらに言われました。その理由は私の患者さんに対する態度がよくないということでした。問診の際に患者さんが右腕をぜんぜん動かさなかったので麻痺があるのですかと聞いたのですが、患者さんは右手にリウマチがあり、私がリウマチを知らないと勘違いされ、すごくショックだったそうです。

また、夕方、回診した際に片目が赤いからすぐに眼科の先生に診てもらいたいと訴えられ、緊急性はないので無理ですと答えたことが冷たいなどを指摘されました。確かに誤解の部分もあったかもしれませんが、私の発言内容はもとより、言い方や態度が良くなかったというのが根底にあったと後悔しています。悪意が無かったとしても、自分の行為や発言が患者さんを深く傷つけてしまっていたことがショックでした。本当に自分は医師に向いてないと心底落ち込み、そのまま主治医を変えてもらおうと考えました。
患者さんと向き合う

しかし、指導医から担当医を続ける機会をいただき、看護師さんと回診するという条件で担当医を続けることになりました。時間を重ねるにつけ、少しずつ誤解も解け、丁寧な態度で慎重に受け答えをするよう心がけることで、内科の研修期間が終わるころにはすっかり信頼関係が築け、患者さんと家族からいつ回診に来てくれるのかと言ってもらえるようになりました。自分が医師に向いているかはわかりませんが、恐れずに再び患者さんと向き合いたいと思えるようになりました。

このようにもう一度やり直せたのは一緒に付き添ってくれた看護師さんたちと、未熟な自分のため、患者さんに頭を下げてくれた指導医のおかげです。
患者さんとの関係から学ぶべき大事なもの

先に挙げた「患者さんが望む理想の医師になる」ためには、身につけることは本当にたくさんあります。今回のことは患者さんとの関係から学ぶべき大事なものだったと感じています。日々の仕事での患者さんとのやり取りの中でこちらがやる気を失いかけることもあります。しかし、そんな時に再びやる気を起こさせてくれるのもまた患者さんであることも1つの真理だと思います。
Message ― メッセージ ―

「患者さんが望む理想の医師になる」ためには、
身につけることは本当にたくさんあります。

― 井上 裕次郎 ―
Profile

○所属 東京民医連・みさと健和病院、2年目、初期研修医
○経歴 近畿大学2012年卒、2012年4月初期研修
○趣味・特技 サッカー観戦 華道(小原流、准教授)

研修医WEBマガジン “患者さんと接する医療”その中で おばぁがまた、畑を耕せるように ― 与儀 梨香 ―

病気だけではなく、患者さんと接する医療がしたかった

── 最初に与儀先生が医師を目指されたきっかけはなんだったんでしょうか。

与儀:私、両親が医療関係者で、その働き方や患者さんのエピソードとか、そういうのは小さい頃からよく聞いてたりしてたので、医師の仕事自体がそうですね、何か憧れの仕事というよりは、身近な仕事だったのもあって興味がありましたね。

特にうちの母親が看護師だったんですけど、例えば末期の患者さんが亡くなるときに、病院で亡くなるんじゃなくて、家に連れて帰りたいとか、「そのためにいろいろ取り組んで、いろんな人と協力して連れて帰ったんだよ」とか、そういう話を聞いてたので。

── では、先生が沖縄協同病院で研修を始められたきっかけはなんだったんでしょうか。

与儀:そうですね。きっかけ自体は、両親が働いていたというのがあるんですけど。あとは、人と関わるような医療がしたいなっていうのがあって。やっぱり、大学の研修とかと比べて、こちらで実習を受けると、患者さんとその家族、取り巻いている状況とかそういう問題に直面することが多いイメージだったんで、病気というよりは、患者さんと接する医療がしたいなというのもあって選びましたね。

── 実際に研修されてみて、患者さんと触れ合う、身近にちゃんと感じられる研修はできているという感じですか。

与儀:そうですね。その分難しいですけどね(笑)医者っていう研修医の仕事自体が私にとってはすごい大変で、きつかったんですけど、やっぱり支えてくれる人たちがいて、自分が挫けた時に支えてくれたりする周りのスタッフの方とかみんなが温かかったので、何とか続けてますね。
チームの一員として、よりよい医療ができるように

── いま、後期研修の5年目ということですが、これから将来的にどんな医師を目指されてますでしょうか。

与儀:私、麻酔科なんですけど、麻酔をきちんとかけれるのに加えて、チーム医療を。手術室でみんなでいろいろ仕事をする上で、人間関係とかそういうのも大事にして、よりよい医療ができる人になれたらなとは思ってますね。

── 先生自身、ご両親が身近に医療関係でおられたということですが、先生が目指す医師像や夢などがあれば、お伺いしたいのですが。

与儀:もう働いてる人たち皆さんすごく尊敬する人たちばっかりなんですけど、そういう中で初心を忘れずじゃないですけど、もちろん医療の技術は磨きながら、患者さんと寄り添った医療ができるようになりたいなと思いますね。

── なるほど。「患者さんと寄り添った医療」という、先生自身が目標とされている研修がいま実際できているなという実感はありますか?

与儀:そうですね。私は麻酔科なんで、直接接する機会っていうのは他の科に比べたら少ないんですけど、麻酔の手術の説明とか、あとは患者さんの術後の訪問をするときは、ちゃんとその人の人柄とかまで分かるような会話をするようには心掛けてますね。
数字だけでは、患者さんは語れない

── 沖縄協同病院は地域医療の中核病院ということで、特に地元のご高齢の方の来院が多いですが、向き合われる中で悩みや、また自信がついた部分などはありますか。

与儀:手術をする年齢というか、大きな手術っていうのはその人に負担がかかるので、例えば100歳の人に手術をするのかどうかとか、そういう部分はすごく悩みます。

問題として、この手術は本当にしてもいいんだろうかっていうのがあるんですけど。でも、年齢だけで見たら100歳なんですけど、全然100歳みたいな感じじゃないおじいさん、おばあさんもいたりして。やっぱり数字だけの検査結果だけじゃ、その人は多分語れないんだろうなと思って。

元気に歩いて、もう畑仕事もしてる90代のおじいさん、おばあさんが骨折したら、もうやっぱり直してあげないといけないので。「また畑を耕してくださいね」って。

── 悩まれた時など、医局全体で相談できやすい雰囲気ではあるんでしょうか。

与儀:いま、医者の数も多分ちょうどいいぐらいの数なので、各科でわざわざ「先生、今お時間よろしいですか」っていう感じではなくて、「○○先生、この患者さん、こういう人がいるんですけど」「ああ、それね」みたいに気軽にコンサルトができるので。

── 独りで抱え込んでるっていう感じではなく、みんなでっていう…。

与儀:もう全くないですね。“みんなで”という感じですね。
何回も挫折しそうになりました

── これから医師を目指される方が、たくさんいらっしゃいますが、そういう方たちに与儀先生が歩んできた経験から何か一言メッセージやアドバイスがあるとすれば、どういった言葉になりますでしょうか。

与儀:私まだ5年目なんですけど、医学部出たり、研修医になったりする間にもう何回も挫折しそうになったんですけど、「ああ、この仕事は私に向いてないんじゃないか」って思ったこともあるんですけど、せっかくこの仕事に就けた、医学部に受かったり、医師になれたんだったら、あきらめずに頑張ったら力も追いついてくるので、とにかくあきらめずに頑張ってほしいなと思いますね。

── 先生自身もあきらめなかったから。

与儀:そうですね。またここから先、もしかしたら挫折するかもしれないですけども(笑)

―― 例えば先生が落ち込んだりした時に、気分転換するためにされていることってあるんでしょうか。

与儀:もう同期の人に話を聞いてもらうのが一番ですね。同期の研修医は同じ立場なので、悩みを分かってもらえるし、同期に話を聞いてもらうのがもう一番でしたね。

個人的にみんなでご飯食べに行ったりしたり。研修医は研修医室とか、そういうのがあるので、そこで悩みを聞いてみたり。「ああ、この子も悩んでるんだな」と思ったら、何かちょっと勇気が。ホッとしたり。
Message ― メッセージ ―

同期のつながりを大切に
とにかくあきらめずに頑張ってほしい

― 与儀 梨香 ―
Profile

○所属 沖縄民医連 沖縄協同病院 麻酔科
○経歴 香川大学 2007年卒
○資格 麻酔科標傍医、日本麻酔科学会認定医
○所属学会 日本麻酔科学会、日本臨床麻酔科学会

患者・地域に寄り添う医師に 同じ志を持ったスタッフも、育て守って行けるような医師になりたい ― 中村 祥子 ―

社会の役に立つ仕事に就きたい

── 最初に中村先生が医師を目指されたきっかけはなんだったんでしょうか。

中村:もともとは心理学に興味があり、臨床心理士になるか、医師になるかで考えたときに医師のほうができることの幅が大きかったので医学部を目指すことにしたのが高3の夏でした。行きたかった心理学の講座が閉じてしまったことも要因だったように思います。

あとはなんとなくですけど、社会の役に立ちそうな仕事に就きたい、と思ったとき、「医師」っていうのがすごくわかりやすいイメージだったので。

── では、先生が勤医協中央病院で研修を始められたきっかけはなんだったんでしょうか。

中村:医学生になると精神科を学ぶには自分がまだまだ人間として未熟であると痛感し、あっさり進路変更をしました。将来のイメージとして、のんびり診療所でおじいちゃん、おばあちゃんとおしゃべりに興じるというのが理想だったので、「総合診療」に興味をもちました。その時の同級生に今の勤医協中央病院を勧められて見学にいったのが最初です。

それまでも様々な病院の見学に行きましたが、中央病院が一番研修の先生がいきいきとしていたこと、コメディカルの方との距離の近さを感じたことなどが決め手になりました。

── 実際に研修されてみて、患者さんと触れ合う、身近にちゃんと感じられる研修はできているという感じですか。

中村:初期研修中は曲がりなりにも無我夢中なので、あんまり実感がないです。自分の無力さに悔しい思いをすることのほうが多かったです。また、本当に成長できているのか、不安になることもしばしばでした。

ただ、「自分が困っていること」を自分よりも察してくれる同期がいたり、お互い忙しいのに労ってくれるスタッフがいたり、自分の数倍忙しいのにささいな悩みも聞いてくれる先輩医師や指導の先生がいたり、人に恵まれている環境でした。また、何よりも患者さんから人として、プロとして、学ばなければいけないことを沢山おしえていただきました。

更には研修の終わりに文章にしてフィードバックをいただけることや、最後の総括を全員で行うことにより自分の中での振り返りがしやすかったと思います。
限られた時間をいかに有意義なものにするか

── 患者さんと接する中で大切にしていること、身についた自信等はありますか。

中村:自分の中で大事にしている言葉が二つあります。

一つは『患者さんにとって医師との出会いは「一期一会」である』ということ。何かの本に書かれていたと思うのですがこれが深く心に残っていて、特に外来にでるようになってからは「限られた時間をいかに有意義なものにするか」を意識しているつもりです。

もう一つは『誠意を尽くすしかない』というものです。これは私が外科に入りたてのころに指導の先生から頂いた言葉です。どんなに力不足を嘆いても一朝一夕でその力が補えるわけではなく、その時自分にできる最善のことをやるしかありません。悔しい思いをした時には同じ思いをしないように、できることをすこしずつ増やしていけたらと思っています。

始めの頃は定着しなかった患者さんがだんだん増えてきたり、外来を卒業された患者様やご家族の方から診察室以外で声をかけていただけたときなんかは本当に嬉しくて、自分への自信にもつながっています。

── 先生が目指す医師像や夢などがあれば、お伺いしたいのですが。

中村:自分が乳腺外科を目指したきっかけは、釧路での外科研修でした。当時は釧路に乳腺の専門医や女性外科医はいませんでした。研修先の病院のスタッフがそれに気づき、女性だけの乳癌検診プロジェクトを立ち上げたところ、これが大盛況でした。

このプロジェクトでどちらかというとマイナスイメージだった女性外科医が一気に魅力的になり、現在も続ける原動力になっています。私を育ててくれたのは地域と、そのニーズを聞き取ることができたスタッフのみなさんだと思っています。今後は、自分が患者さんや地域に寄り添うのはもちろんですが、同じ志を持ったスタッフも育て、守って行けるような医師になれたらいいなと思います。

── これから医師を目指される方が、たくさんいらっしゃいますが、そういう方たちに中村先生が歩んできた経験から何か一言メッセージやアドバイスがあるとすれば、どういった言葉になりますでしょうか。

中村:今回は先輩医師として?かなり背伸びして書きましたが、自分自身まだまだ迷ってばかりです。医師になったって悩み事はつきないことにようやく慣れてきたので、焦らずに行きたいと思います。

この職業は、頑張れば頑張った分だけ、いろいろな方を幸せにできる、とてもやりがいのある仕事だと思います。ただ、一人ではなかなか達成することは難しいので、たくさんの人と手を取り合って前に進んでいって欲しいと思います。いつか同僚として、いっしょに働くことができる日を楽しみにしています。
Message ― メッセージ ―

出会いを大切に、誠意を尽くすことの
できる人でありますように

― 中村 祥子 ―
Profile

○所属 北海道民医連 勤医協中央病院 乳腺外科
○経歴 筑波大学 2006年卒
○資格 外科専門医、日本内科学会認定内科医、マンモグラフィー検診精度管理中央委員会読影医、日本乳癌学会認定医

確かな麻酔の技術と関係者の連携で 患者さんが安全に手術を受けられるように ― 大城 茜 ―

身近な医師の姿に触発され、自らも医療の道に

── 医師を志したきっかけを教えてください。

大城:私の父親は歯科医師をしています。地域で親しまれ、患者さんに慕われる姿を幼い頃から見て育ち、父親のことを尊敬していました。信頼されて「先生」と呼ばれる姿は純粋にかっこよく見えました。

その後、具体的に医師になることを考え始めたのは、高校時代に母親が入院したときです。担当の先生があまり患者である母の意志を汲んでくれず、自分だったらもっと相手のことを考えるのに、と感じました。このことがきっかけで医師を目指すようになりました。

── 民医連の病院を研修先に選んだのは何故ですか?

大城:大学の4、5年目から病院見学を始めるのですが、その中で雰囲気がいいなと感じたのが福岡にある民医連の千鳥橋病院でした。民医連の奨学生制度を利用したことも、この病院を研修先にした理由です。千鳥橋病院は内科が中心で、初期研修ではしっかり内科の基礎を学ぶことができました。

また、さまざまな科をローテートしていくうちに、麻酔科でとても素敵な女医さんに出会いました。的確な処置を素早く施すだけではなく、人間的にも尊敬できる方で、父親同様とてもかっこよかったんです。また、麻酔の手技にも面白さを感じ、後期研修では麻酔科を選択しました。

── 後期研修は健和会大手町病院の麻酔科を選択されましたね。

大城:福岡県内の民医連の病院は3つあるのですが、福岡で学びたかったので、健和会大手町病院を選択しました。ここは500床を越える地域の基幹病院で、救急医療などあらゆる医療に対応し、どのような患者さんでも受け入れています。毎日多くの救急車もやってきますが、患者さんが多い分、多くのことが学べる病院です。

── 麻酔科の研修医としてどのようなことを学んでいるのでしょう。

大城:ここで私が担当しているのは手術麻酔です。麻酔は手術麻酔、救急医療・集中治療、癌性疼痛などに対応するペインクリニックなど、大きく3分野に分かれます。研修医はまず手術麻酔からスタートします。

現在は1日に2〜3件の手術に麻酔担当医として携わっています。緊急手術があれば夜に呼び出されることもあります。ただ、それ以外の手術は予め予定が決まっているので、スケジュール管理はしやすい勤務状況です。
麻酔科医は患者さんの命を守る“指揮官”

── 麻酔科医の役割について教えてください。

大城:手術が安全に行えるように、患者さんの全身状態を安定させるのが役目です。患者さんの体に今何が起こっているか、また、これからどんな変化が起こりうるかを、様々なモニターを通して予測して対応し、患者さんの容態を安定させる役割を果たしていきます。そのために正確な知識と確実な技術が必要とされます。

── 救急医療では麻酔科医はどのような役目を果たすのでしょうか。

大城:麻酔科医は呼吸と循環を安定させることに長けているため、また、患者さんの頭もとに居ることが多いため、全体の状況を把握しやすい立場にあります。

例えば、事故による多発外傷など、他科の医師の連携が必要な患者さんの初期診療を行う際は、麻酔科医が全体の指揮官の役割を担います。複数の外傷がある場合、腹腔内などで大量出血を起こしている患部と、足の開放骨折ならどちらを先に処置するか、この処置を行うことで他にどう影響があるかといったことを考える必要があります。

こうした時、麻酔科医は呼吸や循環を安定させる処置をしながら、どの処置や治療を優先させるかを判断し、全体を指揮しているのです。

── 大城さんにとって麻酔科医の魅力とはどのような部分ですか?

大城:麻酔は、その手技や使う薬剤も含めて、すぐに効果が現れます。痛くてつらそうな患者さんが、自分の手技で「先生のおかげで痛みが無くなったよ!」と言ってくれるのが、純粋に嬉しいです。

また、難しい麻酔の手技を覚えていくことも面白いと感じます。麻酔薬は劇薬ですし、難しい手技には責任が伴いますが、私はこうした技術をものにしていくときに充実感を感じます。満足いく麻酔が行えず、歯がゆい思いをすることもありますが、技術は訓練しなければ身につきません。細心の注意を払いながら、より高いレベルに到達できるように努力を続けています。

── 麻酔科医としてはどういったことが大事だと思いますか。

大城:麻酔科医に限りませんが、コミュニケーション力が大事だと思います。麻酔科医が主治医になることはあまりありませんが、手術に際して患者さんの病状を把握することは大事です。術前・術後には診察を行います。患者さんの病態を把握して適切な麻酔を行い、術後ではそれがきちんと効いているかを確認します。

それに加えて、医療関係者とのコミュニケーションもとても重要です。患者さん一人に対し主治医、看護師、栄養士、ソーシャルワーカー等々、多くの人や科が関わります。患者さんの病気は一つとは限らないので、その患者さんに関わる科の医師やメディカルスタッフと話し合い、情報を集約して治療の方向性を決めていくことになります。患者さんについて情報共有ができていなければ重大なエラーを起こしかねません。

患者さんのことをより深く知り、安全な医療を提供していくためのコミュニケーションは欠かせないものです。
外科医に信頼される、確かな技術を持った麻酔科医に

── 民医連の病院の良さはどのようなところだと感じていますか?

大城:医療従事者は誰しも患者さんのことを考え、寄り添い、力になりたいと思っています。中でも民医連は低所得者や住所を持たない人など、医療に対してアクセスの悪い人に優しいと思います。健和会大手町病院にもそうした人たちが日々やってきますし、生活保護申請など、ソーシャルワーカーによるサポートも行われています。

── 2つの民医連の病院で研修を経験しましたが、どうでしたか?

大城:千鳥橋病院は医局事務と医局が同じ部屋だったので、事務の方が研修医の状況を把握してくれていたのが良かったと思います。初期研修の頃は慣れないことも多く、上級医の先生には言いにくいこともあります。そんなときに医局事務の方が相談に乗ってくれ、とても気遣ってくれました。自分のことを見てくれている人がいると、頑張れるものです。おかげで初期研修も乗り切れたと思います。

健和会大手町病院は外傷患者も受け入れており、病態の安定しない患者さんが多いので初期研修はきつそうですが、多くの患者さんを診療することが出来、かなり実力がつくと思います。自分を鍛えたいと言う人には向いているのではないでしょうか。

── 今後はどのような目標を持っていますか?

大城:まずは手術麻酔の分野をきっちり学び、確実に手技を身につけることが目標です。麻酔科医として外科の医師に信頼される存在になりたいです。

子どもも持ちたいので、子育てしながらバリバリ働いて、私が初期研修時に憧れた女医さんや尊敬する父親のような、患者さんにはもちろん、周囲のスタッフから信頼される医師になりたいですね。
Message ― メッセージ ―

どのような道も努力をすれば開ける
その過程で目標にできる人との出会いを大切に

― 大城 茜 ―
Profile

○所属 福岡佐賀民医連 健和会大手町病院 麻酔科所属
○経歴 2011年、宮崎大学医学部卒。
民医連の奨学生であったことから研修先に民医連の病院を選択。
2011年より福岡医療団 千鳥橋病院にて初期研修プログラムに参加。
2013年より健和会 健和会大手町病院の麻酔科後期研修プログラムに参加。

研修医WEBマガジン 地域に根ざし、人に寄り添う 家庭医療を叶える医師を目指して ― 宇敷 萌 ―

医師は大好きな「学び」で人の役に立てる仕事

── 現在後期研修3年目ということですが、ここまで北毛病院、前橋協立病院、北毛診療所などで研修をされてきたとか。

宇敷:初期研修では前橋協立病院を基幹型とするプログラムに所属して、北毛病院を中心に研修を行い、外来から救急、入院担当なども行いました。

後期研修では群馬家庭医療学センター家庭医療プログラムを選択し、外来や救急当番、入院患者の対応や訪問診療を行っています。やっていることは初期と後期で大きくは変わりません。

── 医師を目指したのは何がきっかけですか?

宇敷:理由はいろいろあります。私は学ぶこと自体がすごく好きで、生物の面白さや人間が生きているメカニズム、病気といったことが興味深く、学びそのものへの欲求がありました。もうひとつは祖母が心臓の疾患でペースメーカーを入れたことです。入院したときは大変そうでしたが、治療で良くなってまた元気に畑仕事ができるようになりました。

そうした経緯を見ていて、医療はいいなあと感じました。自分の好きな「学び」ができて、かつ人の役に立って、人を笑顔にできる力があるのが医療。だからこそ携わりたいと思うようになったんです。

── 民医連の存在はご存知でしたか?

宇敷:私の出身地である沼田市に利根中央病院というところがあるのですが、家族ぐるみで病院の属する利根保健生活協同組合の組合員だったんです。奨学生の制度も知っていたので、大学に入学した際に奨学金を受けました。大学1年生のときに、肥田俊太郎先生の講演を聞く機会があり、民医連の理念にもとても共感しました。

── 学生時代に奨学生活動を行っていたそうですが、どのようなことをやっていたのでしょうか?

宇敷:民医連の医療活動について、学生のうちから理解を深める活動です。民医連の医師の方やスタッフのみなさんといろんなことを学びます。

地域の組合員さんと一緒にフィールドワークに出かけて話を伺ったり、民医連がどのようにできてきたのかという歴史を学んだり、さまざまな活動をしていました。こうした活動のおかげで、研修先を選ぶときも民医連の方たちと一緒に働きたいと思えたし、民医連の理念にもより一層共感できました。
すべての患者さんに応えるための選択が家庭医療

── 後期研修では家庭医療をテーマとしていますが、その理由は?

宇敷:先程も言ったように、まずいろいろ学びたいという興味がありました。初期研修で科をローテーションしながら「小児科もいいな」「産婦人科もやりたいな」「整形外科も学びたい」「外科もいいな」と、行く先々でそれぞれの科の面白さを感じました。しかしひとつの専門的な科というより、疾患にとらわれずに患者さんに関われるという点で、総合内科や家庭医が自分には合うのではないかと思うようになったんです。

例えば夜間に子どもの患者さんが来たら断りたくないし、骨折している人が来たら初期手当はしたい。求められているなら応えたいのです。地域で医療を行っていくにあたって、まず基本になるのは「家庭医療」だと思います。

── 専門を極めるというより、どのような患者さんが来院しても力になれるように、という思いですね。往診もされていますね。

宇敷:初期研修では指導医の先生に同行してやってきました。後期研修になってからは一人で行っています。週1~2単位で定期的に行っています。1日に多いと7軒、少ないと5軒程のお宅へ伺います。

── 往診の難しさなどはありますか。

宇敷:病院は患者さんが診てもらいたくて来られるので、診療を受ける方に意欲があります。往診はその反対です。その患者さんと家族の生活空間におじゃまする形になります。自分のペースよりも患者さんのペースに合わせなくてはいけません。

患者さんとしてというよりはその人個人、「◯◯さんと話をする」という心構えでいます。看護にあたる家族からよく話を聞くようにして、入院中では分からない、日々の生活の様子を注意するようにしています。

── 病院での研修が忙しい中、往診に出かけるのは大変ではありませんか?

宇敷:むしろ、往診に出かけると少し心の余裕ができます。病院にいると絶えず何かすることがあり、コール(病棟から患者さんのことなど)で呼ばれるなどして忙しいのですが、往診の時間は移動中に一息つけるんです。看護師など同行するスタッフと訪問する患者さんのことを話しあったりしながら、少し時間の流れがゆるやかになるのを感じる、ホッとできる時間です。
患者さんや家族の希望に添える治療を

── 前橋協立病院での研修で、良いと感じるところはどこですか?

宇敷:地域に根ざしている病院だというところです。かかりつけ医としての機能がありつつ緊急のベッドもあり、往診も行っているので退院したあとのフォローもできます。継続して患者さんと関われるのは魅力です。

さらに北毛病院は前橋協立病院よりも少し規模は小さく、エリアも限定されています。その分、地域になくてはならない病院であり、数年いれば患者さんやスタッフの顔もみんな分かるようになります。スタッフも多すぎないので看護師さんや薬剤師さんにお願いや相談もしやすく、アットホームな雰囲気があります。

初期研修時は研修医が2人だったため、さまざまな先生に教わることができて、学んだ方がいい症例の患者さんを優先的に担当させてもらえました。これは少人数の良い面だと思います。

── 医師として喜びを感じるとき、また厳しさを感じるときは?

宇敷:喜びは患者さんが「ありがとう、良かったよ」と言ってくれるときですね。退院されて日常の生活に戻り、暮らせるようになるのはうれしいです。しんどいのは自分の力不足を感じるときですね。難しい病気に向き合ったときや急変があったときは、自分にもっとできることはなかったのか、と感じます。

── どういった治療がいいのか、見極めは難しいところもあるのでは。

宇敷:良かれと思ったことでも、うまくいかないこともあります。それに患者さん自身がしゃべれない場合もあるので、ご家族との関係構築も重要です。治療方針に関しても私が患者さんに対して思うことと、本人、家族が思うことがそれぞれ違うこともあります。なるべく皆の希望に添うことを心がけています。

── そうするとコミュニケーションも大事ですね。

宇敷:そうですね。初期研修のときは指導医の先生とも一緒に患者さんと話すので、自分のコミュニケーションについて指導医に評価してもらうことができました。しかし後期研修になると一人で診ることがメインになるので、自分の話がどう受け止められているのか、外から聞いてどうなのかを評価してもらえなくなります。だから初期研修の段階でしっかりコミュニケ—ションを磨く必要があります。

後期研修になるとほかの先生の家族説明や外来の診療の様子を見ることはほとんどないので、初期研修時の学びは大事です。

── 初期研修のときに、コミュニケーションの学びについて意識できていましたか?

宇敷:当時はそこまで考えられていませんでした。しかし、複数の先生の下で学ばせていただいたので、それぞれの先生のやり方、話し方を学べた(知ることができた)と思います。いろんな指導医を参考にさせていただいて、私自身は患者さんや家族の希望や不安をなるべく聞けるようにと意識しています。

── 後期研修ではその部分についてどのような指導がありますか?

宇敷:プログラムの中に振り返りの時間が設けられていて、その中で患者さんや家族の相談を指導医の先生と疑問を共有して、アドバイスをもらったりしています。
地域の人たちのための病院として貢献していく

── こういうところが民医連の病院だな、と感じる瞬間はありますか。

宇敷:身寄りのない方や、日常生活に支障のある患者さんをケアしながら、ソーシャルワーカーが一緒になって今後の生活について考えるなど、患者さんに寄り添っていると思います。ここは差額ベッド代もないので、お金に関する心配をあまりさせず、重症度など必要に応じてベッドを振り分けています。

また、組合員さんがいることも助かっています。ボランティアとして外来の受付や通院の支援などの取り組みでサポートしてもらっていますが、とても頼もしいです。こういう病院はほかにないですし、ここで働けて良かったと思います。

── 民医連の魅力とは。

宇敷:戦後、地域の人々が「自分たちの医療機関を」という願いで作ってきたのが民医連の病院だからこそ、地域の人たちが安心してかかれる医療機関だと思います。「自分たちの医療機関」だと実感してもらえる医療を実践できるといいなと思っています。

欲を言えば、その地域で暮らす人たちが笑顔でいられるよう、住みよい地域(まち)・社会づくりに医師として関わっていければと思います。

── これからもっと身につけたい部分はどこですか?

宇敷:診療している最中にちょっとした疑問が出てきますが、後回しにして目の前の診療を優先してしまいがちです。薬だったり症状だったり、気になったことをうまく時間を見つけてその都度、学べるようにするのが目標です。

分野でいうと精神科も学んでみたいと思っています。認知症の方や、それで困っている家族へのアドバイスができれば。うつ病や統合失調症の方も人口にしめる割合自体は多いので、精神科の先生だけに任せるのではなく、少しでも関われればいいなと思っています。

また、今後は小児科も学びますが、夜間の当直をしていると熱がある子どもさんも来ます。けれど夜間だとそういうちょっと困ったことに対応できる病院がなかなかないんです。ですから、小児に対して救急の初期対応もできるようにしたいです。

学びたいこと、学ばなければならないことがまだまだたくさんあるので、頑張っていきたいと思います。
Message ― メッセージ ―

地域の人たちの力になれるような医師に。

― 宇敷 萌 ―
Profile

○所属 群馬民医連 前橋協立病院 内科所属
○経歴 2011年、群馬大学医学部医学科卒。学生時代から奨学生活動に参加。
2011年より前橋協立病院の初期研修プログラムを開始し、群馬大学医学部附属病院、北毛病院で内科及び外科、救急や精神科等の研修を行いながら、前橋協立診療所、前橋協立病院などでも地域医療や小児科、産婦人科など各種研修を経験。
2013年より群馬県家庭医療学センタ—家庭医療後期研修プログラムを開始。

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