講師:河野恆輔先生

専門医と総合医の役割についてどう考えるか

僕の医者のイメージは『手』がいっぱいあることだと思っています。つまり、一人の患者さんを診るときに知識も豊富に必要だし、『手』もいっぱい持っている方が良いと考えています。

その手は、循環器かもしれないし消化器かもしれない、総合診療かもしれないし感染症といった手かもしれないですが、いろんな手で患者さんをケアすることが大切だと思います。つまり、専門医だって総合的に診ないといけないし、総合医も専門性のある深い知識が一定は必要です。手技的にも必要かもしれません。

杓子定規に「私はここまでしかやらない」とか「他をやっているからこの分野はここまでしか知らなくていい」ということではないと思います。

若いときにこそ幅広く経験することが大切

特に若いうちはいろんな分野に突っ込んでいくという事が大事で、若いうちに裾野を広げて積み上げていけば高い山を築けるかもしれないけど、逆にその範囲を狭めてしまえば小さな石を積み上げたような不安定なものになってしまうかもしれません。だから専門医とか総合医を区別することはそこまで重要ではないと思っています。

一般的な病院で働く医師にとっては、どこのレベルでの専門性・総合性なのかは常に意識しながら、いろいろな科を「侵襲」というか突っ込んでいくことが特に若いうちは大事だと思います。僕の場合は循環器の中の「不整脈」という、民医連的には非常に狭い世界で番を張ろうとしているので、そう考えると、そういう医者がいることが民医連にとってある意味良いこともあると思います。

そういうことがバランス感覚としてどうなのか?という意見もありますが、そんな医者もいないと面白くないし、逆に民医連でも専門医療ができると広くとらえた方がいいかと思っています。そこが民医連の良いところだと思います。

総合性、やさしさ、科学が大事 技術があるから科学も活かせる

専門的な技術はツールの1つではないかと考えています。ツールが増えれば増えるほどたたかいに勝てるようになります。同時に、総合性や民医連的なやさしい気持ちを持つことが必要で、それは制限する必要はないと思っています。

特に、科学は制限する必要はなくて、それは『良い科学』とか『悪い科学』というのはなくて、科学は科学で答えは1つしかないですよね。だけど、今の世の中で1つかと言われると分からないことが多いです。それでも、この患者さんについてはこの治療が正しい治療だということで落ち着くはずです。倫理的や社会的背景から見るとどうか、ということはよく言われます。

科学を突きつめれば1つに落ち着くはずだけど、実際は見えない部分が多い。技術があるとそういう判断ができるようになります。だから、民医連だからどうこうということではなく、技術は無条件でもっている方がいいと思います。技術があればある程患者さんに適切な医療を提供できる可能性が広がります。 仏像で例えると、医療というのは「薬師如来」のようなもので、持っている薬壺を開けるとすべての病気が治ると思われています。でも、実際はそんなことはないです。

実際の医療というのはそんなにかっこいいものではなく、もっと無骨であり失敗も繰り返しながら初めから正しいことができないということが医療の重要なポイントだと思います。僕は、医療は「千手観音」だと思っています。かっこいい千手観音を見つけようとすると意外と少なくて、手が体の周りにいっぱいあって見た目はイマイチですよね。いろいろな物を持っているけど1つの手が1つの事しかできない。医者というのはそういうものだと思っています。

病院も内科や外科があるという意味でもそうだし、いろいろな手で患者さんをどうやって助けるかということを苦悩する姿こそ医者の姿だと思っています。

長野中央病院・総合診療科(研修病棟)での専門医の活躍

長野中央病院の総合診療科は研修のために専門科が手伝いながら、病院の限界なんかも示して研修しています。うちの病院が目指している総合診療は非常に高いレベルなので、専門医に対しても高いレベルを求められます。だから僕(循環器専門医として)もある意味楽しいし辛い場面なんかもあったりするけど、とても幸せです。

つまり、循環器専門医としてカテーテルやアブレーションだけをやっている人生だったら、医者として原点を振り返ることはなかったと思います。研修を中心的に担う若い医師が、医師としての原点を振り返させてくれるというすごいことを経験していて、若い医師たちと付き合うことがもう一つの人生だと感じています。

一般病院の専門医と民医連の専門医の違いは何か

率直に言うと、その違いはないようにしたいと思っています。民医連だからここまで、ということはないようにしたい。専門医としてやるならトップ狙うとまでいかなくても標準までは到達できるようにしたいです。だから民医連外に研修に行くこともいいと思います。

長野県民医連は専門研修を保証しているので外部に出ていろいろな経験をしてくることが、患者さんにとっても良い医療につながると思います。僕自身、今でも研修には出ているけど、その都度少しずつでも上手くなったと実感しています。また、民医連の専門医は一般病院の専門医と患者さんの見方は違うかもしれないけど、技術のレベルに差があってはいけないと思います。

患者の見方が違うというのは、患者さんにとって民医連の多くの医師が「かかりつけ医」だからです。頑張るのも諦めるのも「自分の患者」と思うからで、他の病院に紹介したら亡くなってしまうかもしれない患者さんを頑張って治療して自宅に帰してあげるというところは民医連のいいところだと思います。

亡くなる患者さんも、ずっと診てきて家族の辛い思いも理解して最後に看取ることで納得もしてもらえると思うので、専門医もそういう観点を見失ってはいけないです。最終的に患者さんにとってどうなのかを考えられるのが民医連のいいところだと思います。

大事なことは設計主義に陥らないこと

例えば、癌の手術は癌センターがトップで、次が大学で、市中病院や民医連は場末、みたいな考え方は全然違うと思います。逆に民医連だから出来ることもあります。例えば、手術後のフォローアップも考えてみるなどいいことはたくさんあると思います。

だけど、技術は純粋なので絶対にサボってはいけません。常に自分の技術はどのレベルなのか、社会的にみてどうなのかということを認識していないといけないです。技術的なものは、楽しくて楽しくてしょうがないと思えるくらいまで頑張ってやることが大事だと思います。

患者さんの治療に差があってはいけないはずです。この患者さんに対しては最適な医療は1つであるはずだけど、実際は寝たきりや身寄りがないなどいろいろなバイアスがかかるからそうはならない。民医連はバイアスを一番避けることができるし、そうなりたいと思っています。家族に対しても気兼ねなく話ができるのが民医連のいいところですよね。

大きい病院になればなるほどバイアスはかかってくるので、民医連は医者としてもモラルが担保されていると思います。

最後に医学生へのメッセージをお願いします。

何が正しいのかを考えられるのが学生のいいところだと思います。民医連だから、他の病院だからどうこうということではなく、純粋に平等に物事を見られるのは学生の間だけだと思いますのでとにかく学生時代にいろいろと勉強してもらいたいです。そして、もちろん民医連で一緒に働きたいと思っていますが、民医連に就職するかどうか別としても、不当な圧力に屈しないようにしてほしいです。

民医連といっても決して医療レベルが低いわけでもなく、専門医として十分に活躍できると思います。また、研修とか将来臨床医になるという点でみても、民医連はとても良い医者を輩出していると思います。その研修を一緒に創れるというロマンが民医連にはあるので、是非一緒に創っていきたいと思います。


Profile

  • 河野恆輔(こうの つねすけ)
  • 1991年信州大学卒
  • 専門:循環器
  • 長野中央病院内科統括部長
  • 長野県民医連医師医療委員長