大病院では経験できない中小病院ならではの魅力とは?研修1年目から「主治医」として患者さんに向き合う大切さを学べる
<出席者>
野口 愛 医師
黒岩省吾 医師
湯舟幸代 医師
(以上、西淀病院)
<聞き手>
大島民旗 医師(西淀病院 副院長)
子育て中の研修医も受け入れ応援してくれる
今日は、民医連の施設で研修を受け、今は医師としてここ西淀病院で働いている皆さんに、日ごろ感じていることなどをお伺いします。まずは自己紹介と、西淀病院に着任するまでの経緯を順番にお話しいただけますか。
2007年大学卒業、医師になって15年目の野口です。家庭総合診療医として西淀病院で働くかたわら、千北診療所の副所長を務めています。
私は琉球大学に学士入学し32歳で卒業したのですが、6年生の時に最初の妊娠・出産を経験しました。子どもを抱えての研修となり、最初の2年はそのまま大学に残りましたが、3年目からの後期研修は出身地の大阪で受けるつもりだったので、いくつかの病院の説明会に参加しました。ところが、子どもがいること、第2子も生みたいと思っていることを話すと、どの施設からも「当院では対応できません」と拒絶され、入職先を確保することができませんでした。
そこで、先輩からの「これからは家庭医、総合医だよ」とのアドバイスも参考に大阪での研修先を調べたところ、大阪民医連家庭医療後期研修プログラムなごみ(現・大阪家庭医療・総合診療センター)に行き当たりました。連絡を取ったところ、こちらのセンター長を務めている大島先生が沖縄まで来てくださったのです。
大島先生は「どんな事情のある方でも働いていただきたい。第2子の出産も応援します」と言ってくださいました。この励ましがきっかけとなり、研修先をこちらに決めました。医師になって8年ほどになります。卒業してからは耳原総合病院で2年間、研修医を務めましたが、2年目に体調を崩し、その後1年弱ほどは休職を余儀なくされました。復帰後、西淀病院にお世話になることになりました。研修終了のレポートもできていなかったので、そちらを先に作成・提出させてもらい、それが合格となってから医師として働き始めたわけです。以来、6年ほど勤めさせていただいています。
私も野口先生と同じく学士編入で鹿児島大学に入学し、2014年に卒業しました。医師免許を取得したのは37歳の時でした。医師になるのと、第1子・第2子の妊娠・出産が重なるタイミングでした。双子でしたので、いっぺんに二児の母親になったのです。
初期研修を行ったのは民医連の鹿児島生協病院でしたが、その病院の院長の勧めもあって家庭医を目指すことになりました。実家がある大阪の病院をネットで調べたところ西淀病院の存在を知り、3年目からはこちらに勤めております。
西淀病院で今まで仕事をしてきて、感じたことや印象に残っていること、あるいは成長できたと思ったことなど話していただけますか?
まず、野口先生から。
先ほどお話ししたように初期研修は大学病院だったのですが、こちらに移って印象深く感じたのは、治療面だけでなく家族や家庭の事情など患者さんの背景を知ることを初期研修の段階から重視しているということです。大学病院では複数の医師がチームで診るという形で、研修医の私はというと、カルテの準備をして(当時は電子カルテなどなかったので)、採血をして、画像を撮って……という感じで必死に飛び回っているばかりでした。患者さんに1対1で向き合い、主治医というスタンスで踏み込んだ診療をしていたかというと、1年目からはできていなかったですね。
3年目にこちらに移って、後輩の先生たちと一緒に学びなおし、今まで成長してこれたと感じています。
こちらの病院では往診もあるため、患者さんが退院してからどのように過ごしていくかを入院中に見きわめるといった、アセスメントを行うための訓練ができます。
困っていらっしゃる患者さん、いろいろな複雑な背景のある患者さんに多職種でアプローチするというのは大学病院では学べなかったですし、中小病院だからこそ、患者さん一人ひとりの顔を見ながら様々な職種で支えていけるのではないかと思います。
患者さんの捉え方として、「この病気」ではなく「この人」という見方を初期の段階からできるということですね。大学病院の場合、職種ごとに独立して仕事をする傾向にあるということですか。
そうですね。例えばカンファレンスに関して言えば、多職種でカンファレンスをしたという記憶はないです。ドクター回診、ドクターカンファレンスという形で、その後ろで他の職種の方が聞いていることはありましたが、患者さんを中心にしてみんなでどうアプローチしていくかをディスカッションするといったことは、大学病院での研修では経験できませんでした。
黒岩先生はいかがですか。
西淀病院は「やらせてほしい」と望むことを可能な限りやらせてもらえる病院だと思います。私の場合、初期研修から手技が苦手で、腹腔穿刺、胸腔穿刺などが大嫌いで、翌日やらなければならないとなると夜も眠れないほどでした。
でも、それを克服しようと「やらせてください」と申し出たところ、週に4回でも5回でもこちらの希望に応じて多くの機会を作ってもらえました。おかげで経験を重ねることができ、今は後輩たちへの指導もできるようになりました。
多職種連携のカンファレンスで、患者さん一人ひとりに寄り添う
湯舟先生は?
子どもが2歳半の時に西淀病院に入職したのですが、鹿児島からこちらへ来る際に事務のスタッフの方が住まいの手配をしてくださったり、子どもの保育園の心配もしてくださったりとお骨折りいただき、とても感謝しています。
また、鹿児島の病院では医師がPHSを自宅に持ち帰り、夜遅く電話がかかってくるということもありましたが、西淀病院では勤務を時間で区切るという文化があり、5時以降は当直の先生や病棟の先生が対応してくださるので安心感があります。一方で、カルテのフォーマットがしっかりと作られていて、主治医からの申し送りも徹底されており、都会の病院は違うなと感じました。在籍する医師が多く、呼吸器、消化器、糖尿、整形の先生がいてくださるので、相談もしやすいです。他の職種も充実していることで、カンファレンスや在宅訪問が可能なのだと思います。
当直医だけで対応するというのは、私が研修を始めたころからですね。24時間縛らないようにしようという方針はかなり以前からあります。
では次に、いま頑張って取り組んでいること、そしてこれから力を入れていきたいことについて、お話しください。
倫理委員会にメンバーとして参加し、ときどきカンファレンスの司会などもさせていただいています。先ほどの野口先生のお話にもあった通り、多くの患者さんが病気だけではなく、家庭や家族のこと、お金のことなどの問題を抱えており、病気の治療以上に難しいことがたくさんあるのですが、それを医師だけではなく、看護師さん、リハビリさん、薬剤師さん、訪問看護の方などいろいろな職種の方に入っていただいてカンファレンスを重ねています。
答えに行き着かないこともあるのですが、その患者さんにとって何が一番いいのかを話し合っています。情報も一部の人しか知らないこともあるので、みんなで話し合うことで情報を共有することで、その患者さんにとって何がベストかを探っていけます。こうしたことを今後も継続していけたらと思っています。
臨床倫理カンファレンスは月に1回行われていて、病棟のスタッフだけでなく他職種や地域の方などにも参加いただいています。
野口先生はいかがですか。
HPH(ヘルス・プロモーション・ホスピタル)委員会のメンバーとして、病院内だけでなく、地域に住んでいる方の健康水準の向上を目指すヘルス・プロモーション活動に携わっています。これまでケアマネージャーさんといっしょに地域に出て医療と介護に取り組んできましたので、今後は西淀川区という地域全体を対象に大きな視野をもって活動していきたいと思います。
一方、病院では総合診療医として、多職種連携を盛り上げていきたいです。例えば口腔ケア。医療の質ということを考えると看護師、介護士だけがやることではなく、医師もリハも薬剤師も、みんなで患者様の「食べる」ということを意識して口腔ケアの質を高めていくことが必要です。現在は病院内での口腔ケアの標準化、そして研究にも取り組んでいます。西淀川区でも口腔ケアの地域診断をやっていますが、これを進展させてヘルス・プロモーションとして形にしていきたいと考えています。
もう一つは、西淀川区の認知症サポート医としての活動です。こちらはまだなかなか動けておらず、自分の中で勉強が足りていないところもあるので、認知症の患者様や家族を地域でどのように見ていくかを念頭にブラッシュアップを重ね、医療ケアとしての質を高めていきたいと考えています。
喫煙防止にも力を入れてきましたね。
2012年から喫煙防止教室をスタートし、2016年からは医師会のサポートもいただいて取り組んできました。西淀川区の全小学校を対処に実施してきましたが、コロナ禍でオンラインとなり、直接私たちが出向けなくなりました。今年に入ってからは少し落ち着いてきたためか、4、5校からオファーが来るようになりました。取り組みをさらに活性化させ、「煙草を吸わない」「吸い始めない」ことの大切さを地域の子どもたちから発信していきたいです。
湯舟先生はいかがですか。
昨年、家庭医の専門試験に合格することができました。今は地域生活ケア病棟で野口先生と一緒に働きながら、2つの診療所──ファミリークリニックなごみと姫島診療所で外来と往診にも携わっています。
西淀病院のいいところは、生活困難な方、高齢独居の方などを支えようと頑張っているところで、地域からも頼りにされていると感じます。将来的に診療所中心に働くのか、病院の比重が高くなるのがまだ分かりませんが、自分としては団塊世代の終末期を支えるということがここ10年の目標になるかなと思っています。
団塊世代の患者さんは今後増えていくでしょうね。診療するうえで注意していることは?
まさに私の父親の世代なんですが、前の世代と比べると皆さんそれぞれに主張といったものがあるように感じます。今の80歳、90歳の患者さんとは対応が変わってくるのではないでしょうか。だから、「患者中心医療」がより重要となり、家庭医の役割も増していくものと思います。
80歳、90歳の患者さんの価値観というものは、今後10年ほどで変わっていくでしょう。ご本人の希望とご家族の思いとをどうすり合わせていくか、いろいろな対応のパターンが考えられるでしょうね。
改善を重ね、より働きやすい職場へ
では最後に、全国の研修医や医学生に向けてのメッセージなどがあればお聞かせください。
自分の将来像や目標があるとすれば、西淀病院はそれを目指すにあたって足りないこと、必要なこと、やりたいことを可能な限りやらせてくれる病院だと思います。もちろん、患者さんの利益と合致することが条件となりますが。自分が思い描く医師像を目指して頑張っていける環境が整っています。
医者になってからの15年を振り返ってみると、以前よりも困難な患者さんが多くなったと感じています。お金がなかったり、家族がいなかったり、いても介護力が乏しかったりと、サポートが必要な方が増えているということです。病気を治療する訓練をするだけでは、患者さんはよくならないのではないか。医者の仕事ってこんなに難しかったかな、というのが実感です。やはり生きにくい世の中になってきているのですね。
であれば、技術に長けた医師になるというのももちろんですが、「わたしたちはできません」と逃げることなく立ち向かう、逃げない訓練をすることも大切です。この病院や民医連の施設ならそれが可能で、医師として成長できるのではないかと思います。
女医の私は子育てをしながら働きやすさの実現を目指してきましたが、子育てに限らずいろいろなバックグラウンドを持ってこれから仕事に就こうとしている方も多いと思います。それぞれが置かれた状況によって、働きやすさというものも変わってくるでしょう。民医連はそうした個々人の事情や希望を受け止めてくれる組織です。QOL、オンオフを大切にする若手の皆さんといっしょに、より一層、働きやすい組織にしていきたいと思います。
そうですね。そういう意味ではまだまだ発展途上だと思いますし、改善に向けて声を出して実現していくことが大切ですね。湯舟先生は?
西淀病院は総ベッド数が218床という中規模の施設ですが、中小病院ならではの魅力があります。こちらに移ってきて一番驚いたのは、看護局と事務局が一体となっていること。大学病院のように縦割りでなく、職員同士で顔が見える環境なので、関係性を築きやすいです。往診で地域を回っていることもあり、顔なじみの患者さんも多いのもメリットですね。こぢんまりとしたところがすごくやりやすいです。
また、こちらに入職する際に、保育園にも職場にも自転車で10分圏内の住まいを確保できたのですが、生活しやすいという利便性もさることながら、同じ地域に暮らす患者さんたちが日ごろどんな生活をしているかがイメージしやすく、とてもいい形で後期研修をスタートできたと思います。
ほかにぜひ伝えたいことがあればお願いします。
小さなお子さんを抱えていて、他の施設では研修を続けられなかった人でも、こちらの病院なら遅出、早上がりなどの勤務も可能で、研修を再開することが可能です。
その分、男性医師などの負担が増すのではないかと思われがちですが、ある先生からは「君たちが来てくれたおかげで、当直明けに帰れるようになった」と、逆に感謝されたことがありました。子育て中の女性医師は男性医師と比べて0.8の働きしかできなくても、例えば5人新たに入職すれば、0.8×5で4人分の人員が増えたことになりますから、結果として全体の負担が軽減される形になるということです。
また、子育ても大変なのは一時なので、5年後、10年後は勤務状況が変わっていきます。一部のスタッフに負担が集中するしないよう、全体でバランスを取りながら補い合うことは十分に可能と思います。
子育て以外でも、体調やコンディションがよくないときにカバーし合える組織であるということですね。
そうですね。最近では男性も育休を取りやすくなってきました。ベテランの先生方も配慮してくださるので。常に働きやすい職場に、と意識し続けることが大切ですね。
新たに研修に来る方たちが、常に先輩から「君たちはうらやましいな」と言われ続けるよう、今後も年ごとに改善を重ねていければと思います。