研修医2年目に結婚・出産を経験して復帰
―いつから医師を目指しておられましたか?
中村:中学生のときには決めていました。民医連の病院は父親のかかりつけ病院として馴染み深く、高校生のときには西淀病院と耳原総合病院で開催された「一日医師体験」で血圧の測り方や病院見学をしたこともあります。民医連の医療に共感していたので、こちらで研修を受けることにしました。指導医の魅力にひかれたのも大きかったと思います。
―この西淀病院と、近隣の耳原総合病院の両方で初期研修を受けられたとか。
中村:内科は西淀病院で学びました。西淀病院にはない外科や産婦人科、小児科などは耳原総合病院で研修を行いました。
―現在は後期研修中ですが、どのようなことを学ばれていますか?
中村:医師5年目、後期研修2年目になりますが、専門は呼吸器内科を選択しました。現在は消化器内科をローテートしており、入院患者さんを主治医として受け持ち、救急外来や総合外来、診療所の慢性内科の外来も定期的に行っています。呼吸器内科の研修として気管支鏡検査や胸部レントゲン写真の読影練習もしています。病棟や呼吸器内科のカンファレンスのほか、院内のクリニカルパス委員会への参加も仕事です。
―研修医になってから結婚・出産をご経験されたそうですね。どのような状況やご決断があったのでしょう。
中村:個人的な理由ですが、初期研修開始時から結婚自体はいずれするつもりでした。初期研修の2年目に結婚し、運良くすぐ子どもを授かり、半年間の産休・育休を取りました。医師3年目の春に復職し、初期研修を再開。医師4年目から後期研修を開始し、知識が足りないと思った内科の研修をしたいと思って始め、今に至ります。医師としては5年目ですが、実質は4年目といったところだと思います。休職前は勉強が遅れるといったような不安は特になかったですね。それに、主治医として研修していましたが、受け持っている入院患者さんはそう多くなく、外来主治医は受け持っていないので、融通がきく時期に休めたと思います。
―復帰された後のご苦労などはありましたか?
中村:復帰した3年目は仕事と子育てを両立することで精一杯でした。休んでいる間に、初期研修の1年間で積み上げたものの多くが失われてしまっていたし、焦りましたね。最初はそうしたこともわからなかったから、休むのが怖くなかったというのもあると思います(笑)。あとは時短勤務で病院にいる時間が短いので、いかに効率よく仕事をするかといったことや、私が帰ったあとに周囲の人が患者さんの状態がよくわかるよう、カルテは詳細に記入するなど、気を配るようにしています。時間は限られていますが、「やれることはやる」というのがモットーです。
内科を医学的な知識の源流になるものとして選択
―後期研修は専門に内科を選択されました。理由を教えてください。
中村:学生時代から特に専門の志望があった訳ではなく、初期研修時も子育てがありましたからそれだけでいっぱいいっぱいで、進路はどうするか、将来を見据えてどういう働き方をすべきか、といったことを考える余裕がなかったんです。ただ、出産や子育ての経験が活かせる科がいいなとは思っていました。後期研修にあたっては、まず内科で研修し、足りない知識を補おうと考えました。小児科も進路に考えていましたが、臨床医学の基礎は内科であり、どの科に進んでも内科は必要だと思ったんです。「内科でもう一度研修したい」と内科の重要さを語る小児科の先輩医師の話を聞く機会もありました。内科での研修を始めてみると、内科のやりがいを感じましたし、内科を選んだのは自然な流れでの選択だったと思います。
―その中で呼吸器内科を選ばれたのは?
中村:それは指導医の先生を尊敬していたからです。医学生の教科書に「ハリソン内科学」というものがありますが、私の指導医は「歩くハリソン」と言われるほど何にでも精通しており、優れた医師です。西淀病院の内科研修は糖尿病、消化器内科、呼吸器内科がありますが、指導医が呼吸器専門だったこともあり、呼吸器内科を選択しました。
―この地域では呼吸器疾患ではどのようなものが目立つのでしょう?
中村:一般的な呼吸器疾患というと肺炎ですが、この辺りは工場が近くにある公害地域なので、公害の喘息患者さんもおられます。他にはCOPDや肺がん、それから悪性胸膜中皮腫なども最近は増えているように思います。
―内科の面白さはどこにあるのでしょうか?
中村:患者さんによって治療方法や退院というゴールを臨機応変に変えないといけないところです。一律の医療ではなく、個々に対応したオーダーメイド的なところは面白いですね。同時に、それが難しさでもあります。その患者さんの症状や希望、背景、年齢などすべてを考慮して、治療のやり方を変えなければなりません。扱う疾患の種類も多いですから、一筋縄ではいかないところがあります。
―中村先生が内科医として目指すのはどのような存在ですか?
中村:私が学生から初期研修医の頃は新専門医制度や総合診療医など、新しい制度や専門のあり方が話題になった時期でした。総合医と専門医は一体どちらがいいのか、さまざまな意見があり難しいところです。ただ、私の考えですが、患者さんは専門性を持ちつつ、総合的に診療できる医師を望んでいるのでは?と思っています。専門性の高い検査や治療は専門医にしかできない面もあります。しかし、自分が専門外だからと患者さんを投げ出すことはできないのです。だからこそ、専門性と総合性を兼ね備えた医師になっていかなければならないと思います。
周囲に恵まれ、感謝して仕事に励む日々
―研修医の1日のタイムスケジュールはどのようなものでしょう?
中村:内科の初期研修時は朝8時から指導医と回診し、患者さんについてプレゼンしていく作業があるので、その時間には病院にはいなくてはなりませんでした。では8時までに来ていればいいのか、と言えばそうではありません。研修医それぞれですが、担当患者さんがどんな疾患で、前日、または当日はどんな状態か等、把握しておきたいと思えばもっと早くに出てきていましたね。回診や外来、合間に自分の勉強をしつつ、日中のみならず夕方から会議やカンファレンスが行われることもあり、忙しいです。でも研修医の時期というのは、その日学んだことが翌日すぐに役立つぐらい、やればやった分だけ自分の力になるんです。私は完璧主義なところがあって、常にやれるだけのことをやりたい、と貪欲なタイプなので毎日長時間病院にいました。大変でしたが充実していました。
―現在は時短勤務なのでかなり働き方も変わったのでしょうか。
中村:9〜16時までなので、初期研修の時と同じだけのことはできません。最初は「あれもこれもできていない」と自分にがっかりしましたが、次第に考え方を変え、明日やれることは明日やる、家でもできることは家でやるという風に柔軟に対応するようになりました。事務の方が私の時短勤務について院内に周知徹底してくれているせいか、帰った後で携帯に着信がいっぱいになっていることはありません。私自身も申し送り事項等に気をつけています。また、夫も同じ後期研修医ですが、可能な日は早く帰ってきてくれるので、家庭での時間も充実しています。3年間の時短勤務の期間ももうすぐ終わります。今後も仕事と家庭は常にバランスを考えながらになりますが、周囲に恵まれて両立できることに感謝しています。
―この西淀病院の良さはどんなところに感じますか?
中村:まず、私のような子どものいる医師、子どもが体調不良の場合など、無理させないように対応してくれる優しさ、おおらかさがあります。おかげでとても働きやすいです。それに、患者さんのことが好きな人が多いですね。看護師さんも常に患者さんの意向はどうなのかといったことを医師に聞いて、それを叶えようと努力しています。症状が良くない患者さんでも家族に会いたい、家に帰りたいといった希望を持っていれば、なんとか実現しようと関係各所と調整して叶えようとします。医師もそこに巻き込まれて一緒になって動くようなところがありますね。
―民医連の病院らしいですね。民医連の研修は何が良かったでしょう?
中村:研修医の人数が多い病院は人と比べて「できていない」と感じるからこそ、意欲的に学んでいけるのかもしれません。西淀病院は小規模で研修医の数も少ないので、周囲に煽られるようなところはありません。自分のペースでじっくり学べるところだと思いますね。民医連の病院の初期研修はどこでも、さまざまな科を数か月単位でローテートしていくので、総合性が身につきます。初期研修には最適なところだと思います。多くの研修医に民医連の病院で学んで欲しいと思います。
Profile
○所属 大阪民医連 西淀病院 内科所属
○経歴
2012年、秋田大学医学部医学科卒。大阪民医連の奨学生でもあったため、西淀病院で初期研修プログラムを受ける。
2013年結婚。妊娠し、6月から翌年3月まで休職。
2014年時短勤務で復帰し、初期研修を再開。現在は家庭と仕事を両立しながら後期研修に励んでいる。