研修医座談会 ― 光永 顕彰・吉田 豊・東雲 芳朗 ―

皆さん、入職1年目、2年目の初期研修医がどのような研修をしているか、イメージがつきますか? 今回、くわみず病院で研修中の初期研修医3人に集まっていただき、熊本県民医連を選んだ理由から、研修のやりがいや悩み、休日の過ごし方まで、気になるホンネを語ってもらいました。(聞き手:安達、広瀬)
 
いいチーム医療ができるというイメージが明確にあった

── 熊本県民医連での研修を決めた理由を教えてください。

東雲:大学3年生の時に、他県の民医連病院が企画する地域医療実習に参加し、一人暮らしのおばあちゃんの往診に同行したりする中で、体調が悪いけど病院にかかれない人が沢山いることを知ったんです。
そこで高度で専門的な先端医療より、むしろ普通の一般的な病気の治療や予防、年をとったら誰でもかかりうる普通の病気を診ることが圧倒的に求められていることに気づき、そういういろんな問題を抱えている患者さんをきちんと診れる医師になりたいと考えるようになりました。
その後に熊本にも民医連のくわみず病院があることを知り、医療活動が自分の目指す医師像と重なり共感した、というのが理由ですね。

吉田:学生時代にくわみず病院のACLS(2次救命処置)の学習会に出た時に、雰囲気がいいと感じました。
医師と看護師が和気藹々としてアットホームな印象を持ち、「こういう病院ならいい研修ができるのでは」と思って決めました。

光永:入職してみてどう?想像通りだった?

吉田:当初の計画では17時まで現場を学び、その後は大学の図書館で勉強する予定でしたが…甘かったです(笑)。
でも医師や他職種の皆さんが話しやすくてフレンドリーというのはその通りでした。大きな病院の実習にも行きましたが、やっぱり小さな病院だからこそ、アットホームな雰囲気があるんだと思います。

光永:僕は地元だからというのも大きいですね。沢山の人にお世話になり育てられてきた恩や期待に応えたいと思っていました。
あと医療はチームでやるんですけど、くわみず病院ならいいチーム医療ができるというイメージが明確にあったんですよ。2人の話を聞いていて、顔が見える関係を患者さんとも、他職種とも作れる規模の病院だったからこそ、より強く感じたのかもしれないと思いました。
大きい病院では組織に対して愛着とかが強くわかなかったかも。

── 職場の雰囲気を教えてください。

吉田 豊さん 光永:吉田先生が「アットホームな雰囲気」と言っていたけど、その通りですね。1~2年目の研修医でも医局の会議で意見が言いやすいんですよ。

東雲:ほんとにそう思います。病院の経営状況なんて、普通一部の経営陣しか知らないじゃないですか?「この病院は赤裸々に話すなぁ」と驚きます(笑)。
でもそういった話を聞くと、今後の医療の担い手として頑張らねば、とも思いますね。

吉田:あとは職種間の壁のなさですよね。

東雲:くわみず病院は役職や経験に関係なく、誰でもものが言える雰囲気があるんです。先日、看護実習生がりんりん110番(倫理的な問題を含む治療を検討する場)の会議で発言していたのですが、そんな場面を見るたびに実感します。
そういう話しやすさって、学生時代に色んな企画に参加して職員とのつながりができていたのも大きいと思う。

光永:ある意味では学生時代から育てられていたと言えますね。特に看護師さんと話しやすいって良い医療をする上ですごく大切なんです。
看護師さんの集団のなかに入っていくのは緊張するけど、そこに1人でも知り合いがいると気持ちが楽なんですよ。

東雲:自分の知識不足の発言に対して「こんなことも知らないの」と言われるこちら側の恐怖感はありますが、新人にとっては先輩が厳しいのは当たり前ですし。

光永:色々言われてきついこともあるけど、看護師さんの厳しい言葉の裏には「患者さんの存在」があるんですよね。

吉田:むしろ喜びです。言ってくれた方がありがたい。
退院後、独居で生活できるのかまで考えるのが医師の役割

── 研修をする上で心掛けていることを教えてください。

光永 顕彰さん 東雲:フットワークの軽さですね。医者の世界は経験知がものをいう世界。先輩の先生方の知識にはかないません。研修医が唯一勝っているのは時間があること。
だから病棟や外来から呼ばれたり頼まれたら誰よりも早く駆けつけるようにしています。

吉田:今までは診断をつけることに興味があったんです。入院してきた患者さんの病気は何なのか。病気が分かれば治療のやり方も分かりますから。
でも実際に医療の現場にきたら、一生付き合っていくような慢性疾患を持つ患者さんが多くて、患者さんや家族が求めていることは病名を知ることじゃなく、退院後の生活をどう自分らしく過ごせるかということ。
だからそういう環境をどう作るか、実際に自宅を訪問し、独居で生活できるのかまで考えるのが医師の役割だと考えるようになりました。そこまで研修医に考えさせるのは、地域密着型のくわみず病院だからこそだと思います。

東雲:治療に絶対の答えはないですよね。医療者の答えと患者の望みが必ずしも一致するわけじゃない。例えば、ある治療をすれば延命はできるけど、その分の不自由さもついてくる。それは経済的なものかもしれないし、痛みかもしれないし、食べる楽しみを失うことかもしれない。
さらに認知症などで患者さん自身がどんな治療をしたいか判断できない場合、医療者として命を救いたいけど、患者さんや家族がその分の不自由さを望んでいるのかという葛藤があって…。その葛藤は何年たっても変わらないと思う。

光永:そういう経験が医師の土台になっていきますね。言いかえれば、そういう倫理観とか社会的な役割を認識するような機会が1年目からあるのは、指導医や看護師さんがそれを意図して経験させてくれているからだと思う。

東雲:そうですね。指導医や多職種が見てくれているというバックアップがあって、安心感があるからこそ主体的に担当医として関わることができます。

光永:僕は2年目になって、スタンダードな治療の技術や判断力を身につけるように心掛けています。命を救うための医師としての力量を着実に積んでいきたいし、少しずつですがやれるようになってきたと思います。

東雲:そこが1年目と2年目の違いですね。

光永:でもそれができるのは、2人と同じような経験をしてきたからこそ自宅を訪問し、独居で生活できるのかまで考えるのが医師の役割だと考えるようになりました。そこまで研修医に考えさせるのは、地域密着型のくわみず病院だからこそだと思います。

東雲:治療に絶対の答えはないですよね。医療者の答えと患者の望みが必ずしも一致するわけじゃない。例えば、ある治療をすれば延命はできるけど、その分の不自由さもついてくる。
それは経済的なものかもしれないし、痛みかもしれないし、食べる楽しみを失うことかもしれない。さらに認知症などで患者さん自身がどんな治療をしたいか判断できない場合、医療者として命を救いたいけど、患者さんや家族がその分の不自由さを望んでいるのかという葛藤があって…。
その葛藤は何年たっても変わらないと思う。

光永:そういう経験が医師の土台になっていきますね。言いかえれば、そういう倫理観とか社会的な役割を認識するような機会が1年目からあるのは、指導医や看護師さんがそれを意図して経験させてくれているからだと思う。

東雲:そうですね。指導医や多職種が見てくれているというバックアップがあって、安心感があるからこそ主体的に担当医として関わることができます。

光永:僕は2年目になって、スタンダードな治療の技術や判断力を身につけるように心掛けています。命を救うための医師としての力量を着実に積んでいきたいし、少しずつですがやれるようになってきたと思います。

東雲:そこが1年目と2年目の違いですね。

光永:でもそれができるのは、2人と同じような経験をしてきたからこそです。くわみず病院のアットホームで安心感のある雰囲気の中でやれたからこそ見えてきたと思います。

── 休日はどう過ごしていますか?

東雲 芳朗さん 東雲:休日はプレゼンテーションの資料を作ったり、次のステップへ進むために勉強しています。平日は疲れて勉強できないので。あと、たまに実家に帰ったり日帰り旅行をして気分転換もしています。

吉田:天気がよければ健康維持や体力づくりを兼ねて金峰山に登ります。かれこれ100回くらいは登っていますね。頂上からの景色が好きなんですよ。天気のいい日に家でごろごろはもったいない。

光永:…家でごろごろしながらゲームしています(苦笑)。

東雲:でも、休日に資料作っている僕が言うと説得力ありませんけど、しっかり休むって大切なことだと思います。

光永:心に余裕がないと、患者さんに親身に寄り添えないと思うんです。僕は一杯一杯で追い詰められている医師に診てもらうのは不安ですね。

東雲:1年目なんかでもちゃんと休みが取れるのは魅力です。
多様性を学べるという強みを活かして

── 現在挑戦していることを教えてください。

東雲:経験が浅いので検査で何を出したらいいか分からないことがあります。
もちろん、周囲が漏れていることを指摘してくれるので、さらに自分なりに文献を調べながら整理しています。

吉田:私は受け持った患者さんのことを突き詰めて考えていますね。毎日が挑戦です。

光永:医学的知識、力量を上げるために他病院での症例発表や学会発表にも積極的に取り組んでいます。先月は無理しすぎて倒れるかと思いましたけど。

東雲:外から見ていても心配でしたよ。

光永:どうもその辺が下手で、倒れないように加減します。あとこれは永遠のテーマですが、この先生でよかったなと言われる存在になること、自分にしかできないことを見つける挑戦を続けています。
診断や治療はガイドラインがあるので経験を重ねるとみんな標準的なことができるようになると思いますが、その上で患者さんに選ばれるような医師になりたい。
是非2人にも自分のスタイルを探してほしいです。

── 最後に今後の抱負を聞かせてください。

東雲:2年間の初期研修だけでなんでもできるようになるのは無理だと感じています。なので、自分ができることを1個ずつ増やしていきます。
まず、くわみず病院でやれることをしっかりと身につけて、今後、外部研修で病院規模、職員、患者さんの特徴も違ういくつもの病院を回りますが、多様性を学べるという強みを活かしてしっかり吸収していきたいです。

吉田:他職種の気持ちや苦労を分かる医師になりたいですね。仕事を通じて色んな体験をしたり、他職種の仕事を知ったりする中で気づかいのできる人になりたいです。私はあまり気が利かないので(笑)。

光永:くわみず病院の研修病院としての強みを自分たちが作っていくことですね。医師を目指している医学生に「ここで研修をしたい」と思わせるような土壌作りを、みんなで楽しみながらやっていけたらと思うとワクワクします。
患者さんに寄り添う医療を、研修医も最前線でやっているうちの魅力を、多くの医学生に知らせて、忙しい中でも楽しく毎日を過ごしていけたらと思っています。
―ありがとうございました。

Profile

光永 顕彰さん ( 福大14卒 熊本県出身)
吉田 豊さん ( 熊大15卒 佐賀県出身 )
東雲 芳朗さん ( 熊大15卒 福岡県出身 )

研修医WEBマガジン 子どもの病気を治療し、 幸せになる手助けをするのが仕事 ― 毛利 陽介 ―

勉強会や指導が充実した病院を研修先に選択

── 耳原総合病院を研修先に選んだ理由は何でしょうか。

毛利:まずは医師を目指したきっかけですが、自分は活発な子どもで、よくケガをして病院に行っていたんです。
そこから医師に憧れ、大阪市立大に進みました。そのまま附属の大学病院で研修をする道もありましたが、大学病院の医局は研究や論文執筆が中心になります。
自分としては臨床に多く関わりたいと思っていたので、将来的なことを考えると少し方向性が違うかなと思うようになったんです。

そこで、研修医向けのイベントに参加したところ、耳原総合病院の理事長に声をかけてもらいました。
見学に行って雰囲気の良さに引かれ、勉強会に何度も誘ってもらったことも決め手になって、ここを研修先に選びました。

──この病院は勉強会や研修が充実しているということですが、どのようなものがありますか。

毛利:ここは研修指導に非常に力を入れた病院です。まず医学生向けですが、自分の学生時代には、年に2回ほど研修医が学生を指導してくれるセミナーがありました。今は私が初期研修医1年目のときに始まった、年1回の実践的なセミナーがあります。研修医向けには昼休みや土日を使った手技などのレクチャーもたくさんあります。

耳原総合病院は救急医療を行っていますが、研修医が救急外来を担当する前には、トリアージコースの勉強も3か月みっちり行います。

ここの病院の特徴として、上から下に教えていく風土があって、上の医師が研修医に、上の研修医が下の研修医に、その次は研修医が医学生向けに教えるんです。研修医は上の先生から教わるだけではなく、人に教えることで自分の勉強になるという、いい形ができています。上の先生もレクチャーのときの資料作成や予行演習の準備をしっかりしてくれて、研修医にかなり時間を割いてくれていると思います。

本当に指導が充実していて、研修医のための病院と言ってもいいくらいだと思います。

──現在の学生向けのセミナーについてもっと詳しく教えてください。

毛利:「24時間当直セミナー」という名称で、これは私が初期研修1年目のときに、同期が発案・主導して始まったものです。座学とは違い、本番を想定した内容で、研修医1、2年目の者たちが中心になって行っています。実際の医療の現場がどんなものかと言えば、まず患者さんは具合が悪くなったら、病院に行くか連絡しますよね。それで医師が呼ばれて治療に当たります。

だからこのセミナーもそうした実際の医療現場と同じ流れを体験しながら進めていくんです。患者役の人がいて、実際に電話をするところから始めます。医師はコールで呼び出され、どんな患者でどんな症状かということを聞きながら、治療室に走っていく、というような本番さながらの動きをします。

最後は上の先生から、その動きや治療の判断がどうだったかというアドバイスをしてもらうんです。実際の勤務に則した内容はとても好評で、全国からの医学生で定員がすぐに埋まってしまうほどの人気になっています。医学生向けにこういう形のセミナーをやっている病院はほとんどないのではないでしょうか。うちの特徴だと思います。

──伺っていると、研修医自身が主体的に動いている雰囲気が感じられます。

毛利:確かに、自主性のある人が多いと思います。自分たちで「やろう」と盛り上がる風土がありますね。「24時間当直セミナー」は土日を使って行いますが、上の先生も自分の時間を割いてボランティアで来てくれるんです。受け身の人は誰もいません。それは本当にこの病院の良さだと思います。だから後期研修もこの病院に残りました。
子どもの笑顔がモチベーションになる小児科の仕事

── 後期研修では小児科を選択されました。

毛利:子どもは大好きです。それに、自分も子ども時代たくさん病院のお世話になったし、選択は自然なことでした。耳原総合病院は産科と小児科がありますが、重症患者は扱いません。だから最後は治癒して退院していく姿を見られるのがうれしいですね。

「先生に診てもらって良かった」の一言や、子どもが退院していくとき笑顔で「バイバイ」と言ってくれると、仕事に対するモチベーションも上がりますね。

──小児科ではどのようなことを担当されていますか。

毛利:小児科医療、救急外来、新生児と、子どもに関することはすべてです。毎月60人ぐらいが当院で生まれ、疾患等による入院患者も30人ぐらいいます。生まれた赤ん坊は何か問題がある場合を除き、上の先生の指導を得ながらすべて担当しています。帝王切開の場合は手術にも立ち会います。

今年から院長の方針でお産の数を倍にしようとしているので、新生児はまだまだ増えるかもしれません。ここは民医連の病院なので個室ベッド代を取りませんし、お産にかかる費用が抑えられるので、お母さん方にも注目されている病院だと思います。

──数多くの新生児を担当する上で気をつけていることは?

毛利:雑な仕事をしないことですね。何らかの疾患やトラブルは一定の確率で発生します。生まれる子どもの数が多ければトラブルもふえます。とはいえ、見た目ではすぐ気づかないこともあるし、新生児は何が起こるか分かりません。ほとんどの新生児は健康なのですが、その中にある少数の何かを見逃さないことが大事です。仕事が雑になるとそういう見逃しの可能性が出てくるので、丁寧に仕事をするように気をつけています。

──小児科の仕事は親御さんとの関わりも大事かと思います。

毛利:その通りです。やはり親が治療に満足してくれないと、次に何かあったときこの病院に来てもらえませんから、対話は大事にしています。

──苦労されたことなどはありますか?

毛利:研修医になりたての頃は、自分の学んだことを生かして治療したいという欲が大きく、親がどう思おうと医学的に正しければいいという方針でした。医学的に正しい治療、正しい投薬を選択していましたが、その一方で親御さんに対しての丁寧さに欠けていた部分がありました。

しかし親御さんの不満を上の先生を通して聞き、注意されて考えるようになったんです。今は絶対に必要な治療については主張しますが、まずは親御さんと患者がどんな治療を求めているか、求められているものは何かを第一に、細かいことも逐一説明するようにしています。説明が丁寧な先生を参考にしながら、相手に伝わるような説明を心がけています。
民医連の活動を通して、人間的に一回り成長

── 民医連はさまざまな社会活動を行っている病院でもありますが、そうした活動にも参加しているそうですね。

毛利:民医連がどのような組織か、入ってからいろんなことを学びました。活動に関しては特に強制されるものでもないし、自分次第だと思いますが、私は2013年には長崎、2015年にはニューヨークのNPT(核不拡散条約)再検討会議の平和活動に誘われ、参加させてもらいました。長崎では原爆の落ちた場所を訪れ、平和記念講演を聞き、被爆者から実際の体験を聞くことができました。

平和に関する活動は医療と結びつくこともあり、子どもたちの平和を願うということでも意味があると思います。自分の見識が広がり、政治経済などにも興味を持つようになりましたし、いい経験をさせてもらったと思います。これまで社会の動きに無関心でしたが、民医連の活動を通して自分の意見を持つようになったことは、大きいかもしれません。

──そんな民医連ですが、どのようなところが良いと感じますか。

毛利:やはり組織としてのつながりが強く、規模も全国にまたがっていて大きいことです。近畿地区の民医連の集まりのほか、年に1回全国から民医連の研修医が集まるセミナーもあります。地域が異なれば疾患の傾向も異なりますし、そういったことを聞くことで勉強になります。別の地域の医師と交流できるこのような機会はありがたいですね。行事や交流が多いのは民医連の特徴だと思います。

──耳原総合病院の良さについては。

毛利:やはり人の良さでしょうか。仕事内容やお給料が良いといった条件は働く上で気にする部分かもしれませんが、やはり仕事をする上では人間関係の良し悪しが何より大きいと思います。ここでは上の先生も常に気軽に挨拶してくれますし、飲み会に誘われることもあります。どの科も垣根が低くて居心地が良い病院です。

──これからどんな小児科医になっていきたいと思いますか?

毛利:やはり笑顔にあふれた優しい先生になるのが理想ですね。小児科医として子どもが幸せになる手助けをすることが一番です。新生児蘇生法の資格も取ろうとしているところですが、まだまだ勉強することがたくさんあります。

医師として確かな技量を身につけて、さらに子どもやご両親に信頼していただける医師になっていきたいと思います。
Message ― メッセージ ―

子どもの笑顔のエネルギーは、周りもみんな幸せにします。

― 毛利 陽介 ―
Profile

○所属 大阪民医連 耳原総合病院 小児科所属
○経歴 2013年、大阪市立大学医学部医学科卒。学生時代から10回以上耳原総合病院の勉強会や研修に参加。
2013年より耳原総合病院の初期研修プログラムを開始し、多くの科をローテーションで回る。
2015年より耳原総合病院にて後期研修を開始。小児科を選択し、子どもの医療のほぼすべてに関わっている。

研修医WEBマガジン 広い視野で何でもこなせる 整形外科のゼネラリストに ― 増澤 泰佑 ―

バランスの良い研修にひかれて立川相互病院を選択

── 立川相互病院での研修を選ばれた理由を教えてください。

増澤:私は初期研修と後期研修、どちらもこの立川相互病院で取り組んでいます。現在は後期研修3年目に入りました。大学が近くにあり、勧誘も行われていたのでこの病院のことは知っていました。研修内容がとてもバランスが良く、実践とアカデミックどちらにも偏らないでできるのが魅力だと感じます。

それに、暇がありすぎるようなところだと勉強にならないし、毎日忙殺される状態では十分な学びができず自分のためになりません。
そういう意味でも立川相互病院は適度な忙しさがあり、より良い研修ができるところだと感じます。

―医師はどのようなきっかけで目指されたのでしょうか?

増澤:自分が怪我をした経験や、自分の家族も病院にかかったことも興味のきっかけで、医療現場の様子を見て憧れを抱きました。
中学生の頃に医師になる方向性を定めたと思います。親も医療現場で働いていましたし、身近な世界でしたね。民医連のことも知っていました。

―民医連の病院のあり方や医療の考え方についてはどう感じていらっしゃいますか?

増澤:他の病院では診てくれないような患者さんを診るのは、いいところです。縦割りではなく科同士の横のつながりがあるので、違う科の病気でも診療しますし。

逆に言えば日本の医療システムに問題があって、それをカバーしていると言えます。

―後期研修では整形外科を選択されましたね。

増澤:自分も骨折をしたことがありますが、見学で手術を見てやってみたいと思いました。いろんな機械を使って骨に穴を開けたり、金具で留めたりということをしますが、そういう手技が純粋に面白いと感じました。整形外科は非常に直感的なところがあります。

まず症状が見て分かります。内科は症状がすぐ分からず、症状や検査の結果から推測するしかないのですが、整形外科のわかりやすいところは自分には魅力でした。
骨折は治療の結果がしっかり目で見える形で出るのも良いところだと思います。

―後期研修から専門的なことを学ぶ訳ですが、どういうところから学びはじめるのですか?

増澤:整形外科の手術では老人の大腿骨骨折が多いのですが、そこからスタートすることが多いですね。
教科書はありますが、患者さんによって症状や状態はさまざま。教科書の教えがそのまま使える訳ではないので、上の先生に相談して指導を受けながら手技も覚えていきます。

―こちらの病院を研修のバランスの良さで選んだとおっしゃいましたが、それは外科もそうなのでしょうか。

増澤:初期研修はその色が濃いです。
しかしアカデミックなことは自分で学ばないといけないので、何でも学校にいるように教えてもらえる訳ではありません。指導も受けますが自分で学ぶ要素も大きいです。
今も常に仕事の合間に自主的に学び、実践していく形です。

―病院での1日の動きを教えていただけますか?

増澤:外来がある日は、午前中にその対応を行います。20~30人ほどでしょうか。午後は入院中の患者さんを診ます。そのほか、手術のある日は1日中手術をしていることが多いですね。手術は多いと1日3件くらいです。
一人で任された手術を無事成し遂げて感じた手応え

―ここまでの研修で自分が最も成長できたと感じた瞬間はいつですか?

増澤:上司の先生の手を借りずに、自分一人で骨折の手術を行えたことでしょうか。
後期研修に入って1年半ぐらい経った頃、「一人でやってみて」と言われましたが、問題なくできたことですね。いつから一人で任せるかは指導医次第ですが、もう自分でもできるだろう、と思っていた時期でもあったし、普通に対応できました。

―整形外科の手術の難しさとは?

増澤:やはり予期せぬことが起こることでしょうね。例えば多い事例ではありませんが修復の途中で他のところが折れてしまうようなこともあります。そうした場合は手術の難易度も上がります。途中で手術を放棄することはできないですから、そこは大変でもあります。逆にうまくいけば嬉しいです。

―治療にあたって大事にしていることは何でしょうか。

増澤:計画をきちんと立てて、さまざまなことを予想した上で臨むということでしょうか。高齢の患者さんはほかの疾患を持っていることも多いので、注意が必要です。そうした疾患がほかの治療に影響を与えることもあるので、狭い範囲で考えたり治療を終えたりしないよう、幅広く目を通しておくことを心がけています。

その過程で自分の手に負えないような疾患や症状が出てくれば他の科を頼っていきます。自分でも対応可能な場合はいいのですが、専門ではない病気で無駄に粘っても良くないので、そこは判断して専門の科にお願いします。

民医連ではない大病院では書類を書いて、それを上の先生が統括してから、と手間がかかったりしますが、ここは書類を書きますが直接お願いする先生に話をすることができます。
そういうスムーズで垣根の低いところはありがたいですね。

―仕事上で大変だと感じるときはありますか?

増澤:治しにくい難しい骨折はやはり大変ですね。あとは診療報酬の仕組みが変わったりして病院としては損益の問題が大きく、急性期病院に患者さんが長居しづらくなってきています。
若い人は直ったらすぐ帰れるのでいいのですが、高齢者だと帰る先がなかったり、家族がいなかったりして、そうした人の次の行き先をどう見つけていくかという課題にも日々直面しています。

本来はソーシャルワーカーの仕事ですが、私も少し関わりますし、医師としての仕事(=治療)以外のこともやらなければならないのは大変なところもあります。
外来に関して言えば、患者さんは腰痛や肩痛などが多く、長年の蓄積で症状が出ていることも多いので、治すのに根気が必要です。

それに、高齢だと治らないことも多いで、それをいかに患者さんに納得してもらうかですね。中には治すことができず、悪くならないようにするしかない病気もある。その場合は薬をどう使うか等、いかに線引して治療にあたるかはずっと続く課題です。
秀でたものも必要。しかし、幅広くこなせることも大事に

―後期研修を今年で終えられる訳ですが。

増澤:それ以降は自立してひとりの医師として扱われることになります。
今もほぼ自立に近い状態ですが、独り立ちすれば今までのように甘えられなくなります。

―どのような医師になりたいのか、医師像がありましたらお聞かせください。

増澤:医師としては一通りのことをそつなくこなせるようになることですね。ものすごく秀でたものを持っている人はいて、私もそれを求められている部分もありますが、全体的に必要なことを外さずに治療できるような医師になるのが理想です。野球のイチロー選手のような存在ですね。ホームランバッターではないけれど、常に安定して活躍できるような。

―そのために身につけていきたい部分はありますか?

増澤:全体の患者数から考えても怪我というのは数が多いんです。だから外傷を重点的にやっていきたいですね。
当院だとなかなか診られない開放骨折など、重症の骨折なんかも診たいですね。研修終了後もここに勤める予定ですが、いずれは外に出て重症患者も診て、さまざまな経験を積んでみたいと思っています。

―冒頭でも少し触れましたが、民医連で働く魅力を教えてください。

増澤:患者さんに優しい医師になれますね。医学だけで疾患を治すことはできますが、学問だけで片付けてしまうとどこかで見落としも起こりがちです。
民医連の医師はそうしたドライさはなく、親身に接しています。時代が民医連のような対応を許さない制度やシステムにもなってきているのは悲しいことですが、大事にしていかなければならないと思います。

―初期研修を目指す方にアドバイスをお願いします。

増澤:自分の考えを持って積極的に臨めば充実した研修になると思います。私は最初から整形外科をやるつもりだったので迷いはありませんでしたが、初期研修について言うと、私のように目標があればその反対にあまり興味のない科もできてしまいます。しかし初期研修は全体をまんべんなく学ばなければならないので、忍耐強く取り組んで欲しいと思います。
Message ― メッセージ ―

意思を持って主体的に研修に臨めば
充実した研修で自分を成長させられる

― 増澤 泰佑 ―
Profile

○所属 東京民医連 立川相互病院 整形外科 所属
○経歴 杏林大学医学部医学科卒。
2011年4月より東京民医連の立川相互病院にて初期研修を開始し、各科をローテート。
2013年4月より同病院の整形外科を選択し、後期研修を開始。

研修医WEBマガジン 専門性を備えながらも 総合的な診療ができる医師が目標 ― 中村まなび ―

研修医2年目に結婚・出産を経験して復帰

―いつから医師を目指しておられましたか?

中村:中学生のときには決めていました。民医連の病院は父親のかかりつけ病院として馴染み深く、高校生のときには西淀病院と耳原総合病院で開催された「一日医師体験」で血圧の測り方や病院見学をしたこともあります。民医連の医療に共感していたので、こちらで研修を受けることにしました。指導医の魅力にひかれたのも大きかったと思います。

―この西淀病院と、近隣の耳原総合病院の両方で初期研修を受けられたとか。

中村:内科は西淀病院で学びました。西淀病院にはない外科や産婦人科、小児科などは耳原総合病院で研修を行いました。

―現在は後期研修中ですが、どのようなことを学ばれていますか?

中村:医師5年目、後期研修2年目になりますが、専門は呼吸器内科を選択しました。現在は消化器内科をローテートしており、入院患者さんを主治医として受け持ち、救急外来や総合外来、診療所の慢性内科の外来も定期的に行っています。呼吸器内科の研修として気管支鏡検査や胸部レントゲン写真の読影練習もしています。病棟や呼吸器内科のカンファレンスのほか、院内のクリニカルパス委員会への参加も仕事です。

―研修医になってから結婚・出産をご経験されたそうですね。どのような状況やご決断があったのでしょう。

中村:個人的な理由ですが、初期研修開始時から結婚自体はいずれするつもりでした。初期研修の2年目に結婚し、運良くすぐ子どもを授かり、半年間の産休・育休を取りました。医師3年目の春に復職し、初期研修を再開。医師4年目から後期研修を開始し、知識が足りないと思った内科の研修をしたいと思って始め、今に至ります。医師としては5年目ですが、実質は4年目といったところだと思います。休職前は勉強が遅れるといったような不安は特になかったですね。それに、主治医として研修していましたが、受け持っている入院患者さんはそう多くなく、外来主治医は受け持っていないので、融通がきく時期に休めたと思います。

―復帰された後のご苦労などはありましたか?

中村:復帰した3年目は仕事と子育てを両立することで精一杯でした。休んでいる間に、初期研修の1年間で積み上げたものの多くが失われてしまっていたし、焦りましたね。最初はそうしたこともわからなかったから、休むのが怖くなかったというのもあると思います(笑)。あとは時短勤務で病院にいる時間が短いので、いかに効率よく仕事をするかといったことや、私が帰ったあとに周囲の人が患者さんの状態がよくわかるよう、カルテは詳細に記入するなど、気を配るようにしています。時間は限られていますが、「やれることはやる」というのがモットーです。
内科を医学的な知識の源流になるものとして選択

―後期研修は専門に内科を選択されました。理由を教えてください。

中村:学生時代から特に専門の志望があった訳ではなく、初期研修時も子育てがありましたからそれだけでいっぱいいっぱいで、進路はどうするか、将来を見据えてどういう働き方をすべきか、といったことを考える余裕がなかったんです。ただ、出産や子育ての経験が活かせる科がいいなとは思っていました。後期研修にあたっては、まず内科で研修し、足りない知識を補おうと考えました。小児科も進路に考えていましたが、臨床医学の基礎は内科であり、どの科に進んでも内科は必要だと思ったんです。「内科でもう一度研修したい」と内科の重要さを語る小児科の先輩医師の話を聞く機会もありました。内科での研修を始めてみると、内科のやりがいを感じましたし、内科を選んだのは自然な流れでの選択だったと思います。

―その中で呼吸器内科を選ばれたのは?

中村:それは指導医の先生を尊敬していたからです。医学生の教科書に「ハリソン内科学」というものがありますが、私の指導医は「歩くハリソン」と言われるほど何にでも精通しており、優れた医師です。西淀病院の内科研修は糖尿病、消化器内科、呼吸器内科がありますが、指導医が呼吸器専門だったこともあり、呼吸器内科を選択しました。

―この地域では呼吸器疾患ではどのようなものが目立つのでしょう?

中村:一般的な呼吸器疾患というと肺炎ですが、この辺りは工場が近くにある公害地域なので、公害の喘息患者さんもおられます。他にはCOPDや肺がん、それから悪性胸膜中皮腫なども最近は増えているように思います。

―内科の面白さはどこにあるのでしょうか?

中村:患者さんによって治療方法や退院というゴールを臨機応変に変えないといけないところです。一律の医療ではなく、個々に対応したオーダーメイド的なところは面白いですね。同時に、それが難しさでもあります。その患者さんの症状や希望、背景、年齢などすべてを考慮して、治療のやり方を変えなければなりません。扱う疾患の種類も多いですから、一筋縄ではいかないところがあります。

―中村先生が内科医として目指すのはどのような存在ですか?

中村:私が学生から初期研修医の頃は新専門医制度や総合診療医など、新しい制度や専門のあり方が話題になった時期でした。総合医と専門医は一体どちらがいいのか、さまざまな意見があり難しいところです。ただ、私の考えですが、患者さんは専門性を持ちつつ、総合的に診療できる医師を望んでいるのでは?と思っています。専門性の高い検査や治療は専門医にしかできない面もあります。しかし、自分が専門外だからと患者さんを投げ出すことはできないのです。だからこそ、専門性と総合性を兼ね備えた医師になっていかなければならないと思います。
周囲に恵まれ、感謝して仕事に励む日々

―研修医の1日のタイムスケジュールはどのようなものでしょう?

中村:内科の初期研修時は朝8時から指導医と回診し、患者さんについてプレゼンしていく作業があるので、その時間には病院にはいなくてはなりませんでした。では8時までに来ていればいいのか、と言えばそうではありません。研修医それぞれですが、担当患者さんがどんな疾患で、前日、または当日はどんな状態か等、把握しておきたいと思えばもっと早くに出てきていましたね。回診や外来、合間に自分の勉強をしつつ、日中のみならず夕方から会議やカンファレンスが行われることもあり、忙しいです。でも研修医の時期というのは、その日学んだことが翌日すぐに役立つぐらい、やればやった分だけ自分の力になるんです。私は完璧主義なところがあって、常にやれるだけのことをやりたい、と貪欲なタイプなので毎日長時間病院にいました。大変でしたが充実していました。

―現在は時短勤務なのでかなり働き方も変わったのでしょうか。

中村:9〜16時までなので、初期研修の時と同じだけのことはできません。最初は「あれもこれもできていない」と自分にがっかりしましたが、次第に考え方を変え、明日やれることは明日やる、家でもできることは家でやるという風に柔軟に対応するようになりました。事務の方が私の時短勤務について院内に周知徹底してくれているせいか、帰った後で携帯に着信がいっぱいになっていることはありません。私自身も申し送り事項等に気をつけています。また、夫も同じ後期研修医ですが、可能な日は早く帰ってきてくれるので、家庭での時間も充実しています。3年間の時短勤務の期間ももうすぐ終わります。今後も仕事と家庭は常にバランスを考えながらになりますが、周囲に恵まれて両立できることに感謝しています。

―この西淀病院の良さはどんなところに感じますか?

中村:まず、私のような子どものいる医師、子どもが体調不良の場合など、無理させないように対応してくれる優しさ、おおらかさがあります。おかげでとても働きやすいです。それに、患者さんのことが好きな人が多いですね。看護師さんも常に患者さんの意向はどうなのかといったことを医師に聞いて、それを叶えようと努力しています。症状が良くない患者さんでも家族に会いたい、家に帰りたいといった希望を持っていれば、なんとか実現しようと関係各所と調整して叶えようとします。医師もそこに巻き込まれて一緒になって動くようなところがありますね。

―民医連の病院らしいですね。民医連の研修は何が良かったでしょう?

中村:研修医の人数が多い病院は人と比べて「できていない」と感じるからこそ、意欲的に学んでいけるのかもしれません。西淀病院は小規模で研修医の数も少ないので、周囲に煽られるようなところはありません。自分のペースでじっくり学べるところだと思いますね。民医連の病院の初期研修はどこでも、さまざまな科を数か月単位でローテートしていくので、総合性が身につきます。初期研修には最適なところだと思います。多くの研修医に民医連の病院で学んで欲しいと思います。

研修医WEBマガジン

研修医WEBマガジン一覧

New 内科
専門性を備えながらも総合的な診療ができる医師が目標
― 中村まなび ―
西淀病院
秋田大学医学部医学科2012年卒

整形外科
広い視野で何でもこなせる
整形外科のゼネラリストに
― 増澤 泰佑 ―
立川相互病院
杏林大学医学部医学科卒

小児科
子どもの病気を治療し
幸せになる手助けをする
― 毛利 陽介 ―
耳原総合病院
大阪市立大学医学部医学科2013年卒

初期研修
研修医座談会
― 光永 顕彰―
― 吉田 豊―
―東雲 芳朗―
熊本県民医連初期研修医

内科
地域に根ざし
  人に寄り添う
― 宇敷 萌 ―
前橋協立病院
群馬大学医学部2011年卒

麻酔科
安全に手術を
受けられるように
― 大城 茜 ―
大手町病院
宮崎大学医学部2011年卒

乳腺外科
患者・地域に寄り添う
医師に
― 中村 祥子 ―
勤医協中央病院
筑波大学2006年卒

麻酔科
“患者さんと接する医療”
その中で
― 与儀 梨香 ―
沖縄協同病院
香川大学2007年卒

内科 → 後期研修
やる気の源

― 井上 裕次郎 ―
みさと健和病院
近畿大学2012年卒

精神科 → 後期研修
患者の家族の力になりたい

― 大野 草太 ―
吉田病院
川崎医科大学医学部2010年卒

内科・循環器内科
専門研修を終えて

― 鈴木 健太郎 ―
松江生協病院
鳥取大学2004年卒

内科・家庭医療科
病院にやってくる人だけを
診るのが医療じゃない
― 伊藤 浩志 ―
やまと診療所
筑波大学医学群医学類2009年卒

内科・家庭医療科
私の原点

― 山本 美奈子 ―
愛媛生協病院
愛媛大学医学部2006年卒

内科 → 後期研修
地域を「みる」

― 中島 昌典 ―
川久保病院
埼玉医科大学医学部2010年卒

産婦人科医かずこ先生の課外授業 16

丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター

長年にわたりお付き合いいただいたこの課外授業ですが、私自身のセカンドステージへの舞台変更に伴い今回が最終回となります。毎回楽しみにしているというありがたいお葉書をエネルギーに、産婦人科医としてというより、一人の人間として感じたこと、考えたことを好き勝手書いてきました。最終回にふさわしい壮大な話題を探しましたが、やはり身近なところで感じたことをお伝えするのが私らしいと思いますので、いつも通りの身近な話題をお伝えします。

前回は、当院がGID(性同一性障害)に対する性別適合手術を開始する準備を始めたことをご紹介しました。その準備の一環として院内の学習会で当事者のお話を伺う機会があったり、先日参加した性科学会でもGIDをテーマとした様々な報告を聞いてきたりしましたので今回は、今回はそのことについてお話します。GIDは心の性と体の性の不一致と理解されますが、皆さん方はいつ頃から自分の性別を意識し始めたでしょうか。あるいは受け入れたでしょうか?私の場合、自分が「女の子」と呼ばれることに違和感を感じたことや、スカートをはきたくないと、ということはありませんでしたが、自分自身が女性という存在であることを受け入れるには時間がかかったように思います。自分が反対の性別である、という違和感ではなく、男でも女でもないものになりたかった、あるいは社会生活上「女性」として扱われることがいやだったということかもしれません。生まれる国や時代が違えば、このような感覚にはならなかったかもしれませんが、現代の日本において女性として扱われることが受け入れ難かったということでしょう。振り返ると、おそらく大学生の頃、女性として生きることを受け入れた、というより観念して現在に至るわけですが、昔から私の弟には「うちには姉はいない、兄がいる」と言われていたし、我が家に遊びに来たスタッフは、私と家族の会話を見聞きして「先生のところはお父さんが二人いるみたいですね」と感想を述べていて、決して「女っぽくなった」わけではなさそうです。 このように、誰でも完全に「男」や「女」としての自分があるのではなく、両方の要素を持っていて、その割合はすべての人で違うということだと思います。

今回の院内学習会では、当事者の方がこれまでの人生を振り返り語ってくださいました。小さい頃からの写真を紹介しながら、何かに違和感を感じ、生きづらくなっていく過程をエピソードと共に説明してくださったのですが、いくつか特に印象に残った話があります。

小さい頃から「男の子?女の子?」と聞かれるたびに、『男の子と答えるとウソになるけど、自分では女の子と思ったことはない』ので困ってしまい、その度に「あ、ごめんごめん」と気まずい空気が流れることを繰り返していること。自分では当たり前と思っていることが、「本当にそうなの?」と問い続けられ、自己アイデンティティーが周囲からやんわり否定され続けることになっているということ。

学齢期で『おとこおんな』とからかわれている人をみて、『次は自分の番だ、絶対変に思われないようにしなくては』と、自分を偽り続けたこと。

人には相談できない、自分だけでは解決できない問題にさらされ続けると、問題の存在そのものをなかったことにして封印してしまったり、話す価値のない話題だと勝手に思い込んでしまったりすること。

このように、自分らしく生きようとしても、自分の体のことや周囲との関係の中で何かとすれ違いや衝突が起こり、自分に何が起こっているのか、何に違和感を感じ、なぜ生きづらいのかということを語る言葉を持たない子どもの頃は、自分らしく生きることを認めてもらえない人権の問題でもあると話されていました。

先日参加した性科学会でもGIDの話題が多く出ましたが、制服があることで、学校に行きづらく不登校につながったりすることや、教師の方でもどう対応してよいかわからない、関わりあいたくないと思っている人が少なからず存在するということが紹介されていました。自分の中で生じた問題を、なかったことにしたり封印したり、大したことではないと思い込ませたりするというのは、何もGIDの方々に限ったことではありません。幼児期からの虐待、性被害、DV被害を受け続けてきた方々からも同じようなことを聞きます。

自分の中でいくら忘れさせようとしたり、なかったことにしたり、取り繕ってみても、根本的に自分らしく生きることを実現できない限り、つまり、社会や周囲がその困難を理解し、社会の中でその人がその人らしく生きることが認められない限り、問題は何も解決しないということです。

今年は「アナと雪の女王」が大ヒットしました。「ありのままの自分」。今回のGIDの学習会を通じて、私達の仕事はまさに、「ありのままの自分」で生きていくことを支援していく仕事なのだと実感しました。様々な疾患の治療だけではなく、その疾患やその他いろいろな問題を抱えながらも、その人が「ありのままで」生きていくことをお手伝いし応援していく。私の実践の舞台はこれからもいろいろと変わるかもしれませんが、それぞれの場所で、私なりに多くの方々の人生を応援していきたいと思います。

この課外講座におつきいただいた方々も、それぞれの場所で自分らしく活躍してくださることを願っています。では、皆さん方にまたお会いできる機会が訪れること期待しつつ、筆をおきます。

長い間ありがとうございました。

産婦人科医かずこ先生の課外授業 15

丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター

妊婦健診を担当しているときに胎児の性別を聞かれることの苦悩から、人の性は多様であるという話を随分前にしました。今回は、当院でも性同一性障害の治療として性別適合手術を開始する予定ですので、そのことをご紹介します。

性同一性障害(Gender Identity Disorder:GID)は、新しく導入されるDSM-5※1からは「性別違和」という概念に変更されますが、まだまだ世の中では性同一性障害(以下GID)が一般的なので、ここではGIDという言葉を用います。

よくバラエティー番組で、「オネエ」と呼ばれる方々が登場しますが、この方たちとGIDの何が同じで何が違うのでしょうか?  よく見てみると、セクシャリティー上一括りに出来ない方々をひっくるめて「オネエ」としてみんな認識してますね。身体は男性だが見かけ上女性っぽい人を「オネエ」としているようです。では、「ゲイ」や「オカマ」、「ホモ」「女装家」という言葉はどうでしょう?

それぞれを説明するための言葉として「性同一性:sexual identity」と「性指向:sexual orientation」があります。「性同一性」は、自分がどの性別に属するかという感覚のことで、身体的特徴や育てられ方にかかわらず先天的に「自己の性に関する確信」があることがわかっています。「性指向」は、ある個人のエロティックな欲望や感情の向けられる対象が何であるかということで、異性愛(ヘテロセクシャル)、同性愛(ホモセクシャル)、両性愛(バイセクシャル)があります。

では、この言葉を使って先ほどの言葉を説明すると、「ゲイ」は男性と自認している人が、性愛の対象を同性に求めている人、「ホモ」は性自認がどちらの性かにかかわらず、同性を性愛の対象としている人、「女装家」は性自認はどちらかは問わないが男性の身体の人が女性装をする人となります。「オカマ」は男性の身体で性自認が女性の人、ということになりますが、「オカマ」という言葉には軽蔑を含んで使われることが多く、自分で自分のことを表現するときにはよいとしても、人を指して使う言葉ではありません。と、解説はしてみたものの、人のセクシュアリティーによって人を分類するのは個人的には好きではありません。分類することにどれほどの意味があるのでしょうか?私はマツコデラックスさんが好きですが、それは彼女(彼?)のセクシュアリティーには関係なく、発言内容が鋭くキレが良いからです。マツコさんが自分のことを男と思っていようが女と思っていようが、どの性別を好きになろうが関係ないのです。発言内容のキレキレなところの根源には、これらの要素が関係しているとは思いますが、だからと言ってマツコさんを分類する必要はないと思うのです。

さて、本題のGIDです。GIDは一般的には身体の性と心の性の不一致と理解されています。DSM-5では「少なくとも6か月続く、経験した/表現した性別と、指定された性別との著明な不一致」とされていて、強い違和感、現在の性別から解放されたい、反対の性別になりたい、扱われたいなどと思うという形で表現されます。GIDの診断と治療に関しては、医療者が守るべきものとして日本精神神経学会と性同一性障害に関する委員会が作成した「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」があり、その中で身体的治療の一つとして“性別適合手術”があります。

GID治療の最終目標は、GIDの方が望む性別で社会の中で適合していくことです。望む形、方法はそれぞれに違うので、一人一人に合わせて治療を進めていきますが、問題は日本のGID診療体制の現状です。日本でも戸籍の変更が出来るようになっているし、身体を望む性別に合わせるホルモン治療も手術も行われていますが、世の中の多く(医療従事者も含め)の人がそのことを知りません。それもそのはず。日本のGID治療は20年前にようやく幕が開けたからです。しかもその前にはGIDの暗黒の時代ともいうべき30年がありました。1969年に男娼に対し、睾丸摘出、陰茎切除、造膣術を行った産婦人科医が優生保護法違反で有罪判決を受けるという事件がありました。この判決はこの手術が医療行為であるとするために行っておくべき、十分な診察、検査、検討、説明と同意がなされていないことが根拠となったにも関わらず、「性転換手術=優生保護法違反」であるという認識のみが特に医療界に広まってしまったのです。1997年GID診療と治療のガイドラインが作られ、それをもとに1998年埼玉医科大学でのFTM※2に対する性別再判定手術が日本で初めて公式に行われるまで、30年近くGIDの治療の時計は止まったままになったのでした。

治療の詳細を述べるスペースはないので概略を説明すると、ガイドライン上、治療は精神的治療と身体的治療があり、身体的治療を開始した後も精神的治療は継続することになっています。治療を希望する人はまず、ジェンダークリニックで身体的性別、除外診断を含め検討され2名の精神科医が一致して「GID」と診断し確定します。精神的治療を開始後も身体的治療を希望する場合、身体的治療として、ホルモン療法、乳房切除、性別適合手術の適応を判断します。この順番はどれから始めてもよいことになっています。

性別適合手術はFTMでは卵巣摘出、子宮摘出、尿道延長、膣閉鎖、陰茎形成があり、MTFでは精巣摘出、陰茎切除、造膣、外陰部形成術があります。2003年に成立した性同一性障害の特例法の中で、戸籍の性別変更に必要な要件として「性腺がないことまたは性腺の機能を永続的に欠く状態にあること」「他の性別の性器の部分に近似する外観をそなえていること」がありますので、戸籍変更のためにはFTMは子宮、卵巣摘出が必須、MTFはほぼすべての手術が必須ということになります。それ以外の手術は、本人の希望の範囲で実施します。

ここで、FTMにおける子宮、卵巣摘出というのは、実は子宮筋腫や卵巣腫瘍で婦人科ではごく一般的にされている手術と同じです。しかし、婦人科医の中での関心が低いことや、健康保険がきかず自費診療になること、性別適合手術判定会議など手続きが必要などから、国内でこの手術をガイドラインに則り実施している施設は数件しかありません。そのため、多くのGID患者が外国で手術を受けている現状があります。

当院ではすでにFTMの患者さんにホルモン治療を行っています。そして、当然子宮、卵巣を摘出する技術もあります。そこで、外性器の変更術までは出来ませんが、希望するFTMの患者さんに性別適合手術として内性器摘除が実施できるよう、現在準備を進めています。

※1 アメリカ精神医学会発行「精神障害/疾患の診断・統計マニュアル」
※2 FTM:身体が女性であり男性へ変更希望のもの、身体が男性であり女性への変更希望のものはMTF

婦人科医かずこ先生の課外授業 14

丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター

前回は、女性が高年になってくることによる妊娠率の低下についてお話ししました。

女性が高年になってから妊娠する場合問題になるのは、妊娠率の低下だけではありません。

妊娠期間中や出産におけるリスクがそれ以前の年齢層より高まることから、日本産婦人科学会では1991年以降、35歳以上の初産婦を「高年初産婦」と定義し、要注意妊婦として管理することとしています。

高齢出産が増えているという情報を耳にすることもあると思いますが、正式には「高齢出産」という定義はなく、医学的には「初産」で「高年」であることでよりいっそうリスク増加につながるのです。「高年」の出産だけであれば昔もあったし、むしろ今より多かったかもしれません。ある統計では、出産総数に対する女性の年齢層別割合をみると、1925年には35歳以上は20.5%、40歳以上は6.6%あり、2011年の35歳以上24.7%、40歳以上の3.6%と比較しても高年での出産は決して少なかったわけではないようです。むしろ20歳代前半から出産し始め、閉経近くになるまで出産を続けていたというべきでしょう。

問題は初産年齢が上がったことです。2011年、平均初産年齢が初めて30歳を超え、高年初産の割合は8.5%を占めるようになりました。高年初産のリスクは、一般的には流産、切迫早産の増加、妊娠高血圧症候群など母体合併症の増加・難産(微弱陣痛、軟産道強靭、母体疲労などによる)・分娩時出血多量などが言われています。妊娠適齢期は20歳頃から35歳頃という説もあり、生物学的にはその頃に妊娠する方が妊娠出産にかかわる様々なリスクを減らすことが出来るといえます。

そうは言っても、いい人にめぐりあえないという人は多く、結婚してから子どもを出産することが大部分を占める日本では、晩婚化=高年初産になります。平成17年の国民生活白書では「子育て世代の意識と生活」と題したデータが様々記載されています。女性の高学歴化が晩婚化につながっているという説をよく見かけますが、これらのデータからはむしろ経済問題の方が関連していることがわかります。また、個人的には、「結婚するつもりがない人は両親の夫婦関係をうらやましいと思っていない」とか「父親が家事をする姿を見なかった女性は一生結婚しない気持ちにつながっているが、男性は影響されていない」など、『日本の伝統的家庭』の中に潜む夫婦関係の問題点を突いているようで興味深いと思います。

白書によると、結婚するつもりのない人は少数派であり、結婚した人の中では子どもをほしくないと思う人もごく少数であることが示されています。つまり、大抵の人はいつか結婚して子どもを持つことを考えているといえます。

 

しかし、現実には子どもを望んでいても恵まれない夫婦も大勢います。白書によると、25歳から39歳の妻の約35%は不妊症の心配をしたことがあったり現在心配していたりします。実際に不妊治療したことがあったり現在治療中の人は約2割前後です。
不妊治療の相談はほとんどの場合、まず女性が産婦人科を訪れることから始まります。

ところで、不妊症の原因は男性、女性どちらにもありうるのですが、どの程度の割合かご存知ですか?WHOの不妊原因調査では、男性因子のみ24%、女性因子のみ41%、男女とも24%、原因不明11%となっています。つまり不妊症の48%は男性にも原因があるということですので、決して女性だけの問題ではないということです。
ところが、男性因子を調べるために精液検査をしようとすると、ここで突然スピードダウンします。「忙しい」「そこまではいい」と夫が言っているとおっしゃるのです。

ここで、私が行きつけの美容室での男性スタッフとの会話を思い出します。私はそこで、『性の伝道師』としての役割をいかんなく発揮していますので、男女問わずそこのスタッフからいろいろな性の質問を受けていて、一般の人たちの性の疑問を調査する場所として大変重宝しています。

彼曰く、「自分の精子がどのくらいあるのかとか元気なのかすごい気になるんですよ!」「射精の時に飛ぶ距離って精子の能力に関係あるんですか?」など、世の男性陣はペニスの大きさや包茎かどうか気になっているというのは知っていましたが、そうか、自分のJr達の数や能力も自分の男としての価値を示す重要な要素なのだと知りました。

そこで、不妊検査で男性因子が疑われたとたん、自分の価値が貶められると感じる男性が不妊治療そのものに消極的になっていくのではないかと思いました。たとえ、社会的地位や経済的能力を持っていても「種がない」と思う、或いは思われるだけで、自分の社会的存在価値を脅かすほどの恐怖を感じるのではないか。それは、主に男性社会の中での心理的な序列にも影響しているのではないかと思えるのです。

そして、女性の妊娠年齢のタイムリミットが近づきいよいよ男性が重い腰をあげて、治療を開始する。高年初産の背景の一部はこのような理由があるのではないかと、私は密かに思っているのです。

最近、タレントのダイヤモンド☆ユカイさんが自らの無精子症の治療の末子宝に恵まれた経験を著書で明らかにし、マスコミでもよく取り上げられるようになりました。自分に不妊の原因があることを知ることも出来ないガラスのハートの男性を勇気づけるものであり、不妊症治療が夫婦でともに乗り越えることになる大きなきっかけになるのではないかと思っています。

産婦人科医かずこ先生の課外授業 13

丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター

産婦人科の一般診療をやっていると、様々な相談を抱えた患者さんがやってきます。先日いらっしゃった患者さんは46歳。実は43歳頃に一度不正出血で受診されており、子宮筋腫があり、妊娠も希望されているということだったので、1日も早く妊娠に向けた努力(筋腫の治療や妊娠に向けた様々な治療)をすることを勧めた患者さんでした。

その患者さん曰く、以前受診した頃はまだ妊娠の準備が出来ていないと思ったので、漢方治療を行い、最近ようやく高温相が安定してきた。妊娠の準備が出来たと思うのでどうすればよいか?とのこと。その内容に、私は驚愕し、どう返答してよいものやらしばらく言葉を失ってしまいました。前回受診した時ですら、すでに妊娠するにはかなり困難な年齢であったのに、「まだ準備が出来ていない」と思い何年もの時を過ごしてしまった…。「ようやく準備が出来た」とおっしゃられても、失礼ながらこの年齢で、かつ以前よりも大きくなってしまった筋腫付き子宮では妊娠する可能性はおそらくほとんどないでしょう。確かに、当院での自然妊娠最高出産年齢は47歳。最高の条件が整えば妊娠することもあるかもしれないけれど、むしろ例外です。

少し前まで、高齢妊娠に関してのマスコミ情報は、「閉経した女性が娘さんの代わりにホルモン補充で妊娠・出産した」とか「50歳過ぎて出産した芸能人」など現代の医学をもってすれば何歳になっても妊娠することが出来る、と思えるような中身が多かったかもれしれません。世の中は、治療すれば何歳になっても妊娠できるようになっているのでしょうか?

最近でこそ、「卵子の老化」などという少々失礼な言葉でマスコミが取り上げることが多くなり、「卵活」という言葉も登場するほどに女性の妊娠における、主には卵子の限界について世の中が敏感になってきました。女性と卵子の関係は、卵子の一生を理解する必要があります。

有性生殖生物が配偶子を作成するときに、減数分裂が必要であることは生物学で習ったと思います(図1)。では、人の場合、男性と女性がいつ配偶子形成のための減数分裂を行うかはご存知ですか?女性の配偶子=卵子は、胎生16週頃卵子の大元となる卵祖細胞を作ります。その後、胎児のうちにすべての卵祖細胞は第1減数分裂を開始しますが、第1減数分裂前期のうちに分裂を休止し、女性がこの世に誕生するときには、卵子は永い眠りについています。再び分裂を開始するのは、排卵の直前。そこでようやく第1減数分裂を終了し、排卵の後第2減数分裂に入りますが、そこでまたストップ。受精して初めて第2減数分裂が終了します(図2)。排卵までの間、眠っている卵母細胞はどんどん数が減り続けますし、眠っている間に外からの刺激による染色体損傷も生じます。つまり、20歳の時に排卵した卵子は、20年前に分裂を開始した20歳の卵子。40歳で排卵した卵子は40年前に分裂を開始した40歳の卵子ということになります。一方男性の配偶子である精子は、思春期以降、精子の元である精粗細胞が作り続けられ、減数分裂を開始して約64日間で成熟精子となります(図3)。この差が、女性のみが年齢と妊娠の関係が問題になる大きな理由です。

 

体外受精を行うと、不妊症の人もみんな妊娠できるイメージがあるかもしれませんが、2010年日本産科婦人科学会が報告している体外受精の統計では、全年齢あわせて新鮮胚移植で1移植あたり出産率14%、凍結胚移植で22%でした。年齢が上がるほど出産率は低下し、ある大規模施設での報告では、35歳以下の出産率は3割以上なのに対し、40歳以上では1割以下でした。つまり、卵子の年齢が妊娠に与える影響は大変大きく、卵子バンクがある米国などでは、40歳以上の不妊治療には卵子バンクの卵子を使うことを勧められることも多いそうです。

先ごろ日本生殖医学会が未授精卵凍結保存についてのガイドラインを発表しました。それまで、がん治療などで卵巣機能が温存できない可能性のある女性に対して行われていた医学的適応での「未受精卵凍結保存」が、若い頃の卵子を将来のために保存しておきたい未婚女性にも実施されてきている実情にあわせ、利用者と提供施設双方が留意すべき事柄について決められたものです。そこには「40歳以上の卵子の凍結や、45歳以上の凍結卵子を使った不妊治療は推奨できない」とされており、「生殖可能年齢が過ぎた場合は、通知の上で破棄することが出来る」などといった内容が記載されています。

では、これはどの程度女性にとって朗報なのでしょうか?これまで受精卵に比べ未受精卵は非常に不安定であり、凍結、融解の際に損傷されることが多く実用的ではないとされていましたが、技術が進み出産率が上がったので最近世の中に登場してきたようです。しかし、その出産率もせいぜい10%前後。施設の技術による差もまだまだ大きく、また、保存期間中は保存のための料金が必要です。そして、卵子がいくら若くても、妊娠時の年齢が高ければ母体の命に係わる合併症の発生率はあがりますし、何より自分の経験から言わせてもらえば子育てには体力が必要。

選択肢の一つとして考えるのはよいとして、生物学的に妊娠出産に適した年齢に出産しない、あるいは出来ないのは果たして女性のせいだけでしょうか?若者世代のワーキングプア問題。また、妊娠を希望する女性にとってほとんどの職場はブラック企業といわれています。多くの女性にとって、ワークライフバランスのための環境充実の方がよほど朗報だと思うのですが。

産婦人科医かずこ先生の課外授業 12

丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター

私の所属するティーンズセクシャルヘルスプロジェクトチームは、当初はその名の通り、10代の若者達の性の問題に対して作られたものでした。しかし、次第に人工妊娠中絶患者へのアンケートや講演活動や学習会を通じ、性の問題に取り組むべき対象者は幼児から大人まですべての年齢層にわたるのだと気付いてきました。思春期になってある日突然、性の問題が沸き起こり、それから解決する必要がでてくるのではないということです。幼い時から小さな疑問を解決しつつ、段階的に死ぬまで性の問題は疑問と解決の繰り返しが続くのです。そう、老人になってもです。

例えば、外見上の男女の違い。これはおそらくわが子の経験からも2~3歳ごろまでに疑問が湧いてくるようです。お父さんやお母さんのような大人での違い、お友達のような子どもでの違い。いろいろたくましく想像しています。私の同僚の3歳の娘さんは、パパが好きで、「自分にはいつになったらパパのようなおちんちんが生えてくるの?ママの小さいのじゃいや」と尋ねてきたそうです。

そして、自分やお友達に兄弟が出来るころ。今度は赤ちゃんはどこからどうやってやってくるのか疑問が湧いてきます。それは、自分がいかにしてこの世に誕生したのかというまったく基本的で科学的なまっとうな疑問、質問ですが、これを尋ねられた大人はなぜかドギマギし、「そのうちわかる」とか昔ながらの「コウノトリが連れてきた」などとはぐらかしたりするようです。出産のことは話せても、「どうして自分がこの世に存在したのか」という命の出会いの場面はどう説明していいかわからないという声もよく聞かれます。

 

私たちは、昨年から幼児とその保護者向けに「誕生のひみつ」と題した講座を設けています。第1部では助産師が「体のひみつ」「命の誕生」「つながる命」を子どもたちに、第2部で医師が保護者向けに、なぜ今の時期から伝える必要があるのか、保護者としての心構え、について話しています。

「体のひみつ」では、男の子と女の子のからだの違い、困ったときに伝えるためにお医者さんの使う正式な性器に関する名称、プライベートゾーンを守ることについて学びます。小学校就学前から低学年のうちに、身近な大人から体をさわられるなどの性被害を知らないうちにうけていることがあります。大きくなってその意味がわかった時に、大きな傷を抱えてしまうことも多く、幼くても自分のプライベートゾーンは大切、「みせて」と言われたり触られそうになったら断ってよく、そのことを親にちゃんと伝えることの必要性を子どもに直接伝えます。そして、プライベートゾーンに関することは大切なことなので、ふざけて話したりしない約束もします。

「命の誕生」では、受精卵から赤ちゃんが誕生するまでを学び、小さな点のような命の始まりから、お母さんの中で大切に守られて大きくなってきたこと、産まれるときには、お母さんもみんなもがんばってこの世に誕生したこと、そして、産まれた時のみんなの泣き声を聞いて、お父さんやお母さんはほっとして、そしてとてもうれしかったことを伝えます。

「つながる命」では自分たちの命は、両親、そのまた両親からずーっとつながっていて誰一人欠けてもみんなは存在しないこと、そして、一人一人かけがえのない大切な命であることを伝えています。

これらのことを、絵や模型、実際の誕生の時の赤ちゃんの声、本物の妊婦さんに胎児の心音を聞かせてもらうなどして40分間学びます。子ども達は、最初から最後まで真剣そのもの。子ども達の後ろで座っているお母さんのひざの上で見ていた子どもも、興味のある場面では最前列に乗り出してきたりします。命の誕生では、一部性行動を説明する場面があり、大人はドキマギしていますが、まっさらな頭の子ども達には、「こうやって自分が出来たんだ!」と、科学的な事実として疑問が解決し納得の顔です。その様子をみて、保護者の方々は、事後アンケートで、「これまで、身構えすぎていた。子どもが素直に受け入れている様子をみて、聞かれたことには普通に答えればよいと学んだ」と書いてくださっている保護者が多いです。

ところが、前回の講座では、お一人だけ、参加していたお父さんが、どうしても生殖に関して子どもに伝えるのは許せなかったらしく「こんなことは子どもにはまだ早い!!」と、嫌がるお子さんを連れて退席されました。子どもに「性、生」を伝えるとき、常に大人自身が、これまでどのように性に向かい合ってきたか、性に対してどのように捉えているかが問われます。自分の子どもに、いつ、どのような形で性の健康教育をするかは保護者の決めることと思いますが、「もっとみたいー!!」と言いながら、引きずられるように帰って行った男の子が、この経験をどのように捉えるのか気がかりです。

小さな疑問を解決する機会を失った子ども達はどうなるでしょうか?大人のついた嘘で自分なりに想像力をめぐらしファンタジーを作り上げることもあれば、この話題は決して親には聞いてはいけないのだと学んでしまう子どももいることでしょう。先の、お父さんに退席させられたお子さんが、「性」に関することに触れると大人を怒らせてしまう、と学んでしまい、性に関連した問題をどの大人にも相談できなくなる、といったことの無いように切に祈ります。

学校で生命や自分の誕生、いわゆる「性、生」について学び始めるのは、小学校中・高学年ごろと思います。しかし私達は、疑問が起こる時期に正しく、科学的に答える必要があると思っています。また、何より、自分のからだを知り、自分の身を守るという性的自己決定権を小さい頃から身につけ、性被害を未然に防いだり、もしも起こった場合も大人と相談でき、被害を最小限度に食いとどめる知識と技術を繰り返し伝えていく必要があるのではないかと思っています。

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