—— 質問事項 —————————
連携施設となる場合、指導医は同一人物が内科A基幹施設PGと内科B基幹施設PGの両方
のPGに登録することは可能でしょうか。その場合、同一時期に連携施設の専攻医が指
導医一人あたりの受け持ち可能人数の上限を上回らないことは当然として、定員につ
いてはA基幹施設PGとB基幹施設PGのどちらにどのように振り分けられることになるで
しょうか
実は、内科学会からは上記のようなことは可能と返事を頂いている病院がある一方、
それは難しいと聞いたという病院もあります。ある領域については学会から指導
医は複数PGの指導医を兼ねることはできないといわれており、別の領域では連携施
設は指導医が複数いてもいなくてもひとつの基幹PGに限られるなどの指導をうけるな
ど、領域においてかなりバラバラな内容をうけております。
プログラム整備基準にはそのあたりの細部についてふれていないようですので、学会
ごとの運用が異なっているだけかもしれませんが、連携先を選定していくにあたっ
て、指導医の少ない病院にとっては大きな問題になっております。ぜひどのように考
えたら良いのか、ご教示いただければ幸いです。
—— 以下、回答 —————————
ある意味”名前貸し”といったことになりかねないので、1人の指導医は複数のプロ
グラムに所属しても良いが、
募集定員用件としての指導医数計算に際して当該指導医が複数プログラムでの合計と
して3年間で3名を超えないように
各プログラム統括責任者が協議して募集定員を設定してください。
9/10、第3回目となる研修医によるケースカンファレンス③が開催され、1年生3人、2年生2人が参加しました。
臨床推論の後は他職種カンファのロールプレイ!
皆さん役になりきり真剣に取り組みました。
それぞれの立場の主張したいことと現実の問題点の狭間に生まれる葛藤やモヤモヤを体験しました。とても良い体験になりました。
次回は10/16(金)18:00~です!

http://www.kensei-hp.com/
この夏に青森民医連の病院に実習に来てくれた学生さんの実習ノートを更新しました。皆さんお疲れ様でした!

日本病院会(日病)は会員病院向けに提供している情報資料の中で、第1回専門医に関する委員会報告書を公開しています。あわせて日本専門医機構8月3日理事会にむけた制度検討委員会資料などの機構資料も提供されています。同委員会は、「新しい専門医機構の動きが見えにくい中、各専門学会が大学中心の議論を進めているという状況に、会員や複数の病院関係者から危惧する声があがり」発足させたこと、委員の所属する国立、地域医療機能推進機構、自治体、日赤、済生会、厚生連、私的病院などに議論を「持ち帰り検討していただき、何らかの形で発表したい」とあります。
日病はこの会議をうけて、「新専門医制度に関する意識調査」を緊急に実施。その調査報告もまとめられています。報告書には「結局は大学病院に集約してしまう」「医局への研修中の入局は認めないようにすべき」「一定の施設以外は応募できないように圧力をかけている地域も」「結局大都市に医師が流れる」「6ヶ月の基幹施設の研修の給料はどこがはらうのか」「サブスペシャルへの移行が曖昧」「若い医師の将来性を狭める」「もっとゆるやかな制度に」「閉じられた組織の機構は問題」「学会内部の議論も一部の大学関係者の議論」などの問題点が列挙されています。
*下記画像は日病資料より作成

院長、若手医師、医学生が8月11日、九大生体解剖事件を学ぶため、福岡市中央区にある東野産婦人科の東野利夫医師を訪問し、戦後70年追悼展示会『「今、振り返るいのち」~九大生体解剖事件の真相~』を見学しました。
今年は戦後70年ということもあり、二度とこのようなことがないようにとの強い思いで自院での展示会を開催されました。東野産婦人科の建物の一角に設置された資料には、医療者が生体解剖事件という本来の使命とは真逆の行いをしてしまった経緯が生々しく書かれているものもあり、戦争状態という異常性が伺えました。
展示された資料の数々は、東野医師の恩師である平光吾一教授の「汚名」を晴らす為に奔走し集めたものばかりであり、多くの方々が食い入るように眺めていました。
見学後、東野医師に当時の様子を語って頂きました。

「当時は戦争状態にあり、どちらが悪いということは今となっては言えない。戦争というシステムが命を守る医師の使命すら狂わせてしまい、このようなことに関わってしまった。戦争は二度としてはいけないが、今は平和の方向に向かっているようには思えない」と、当時の状況を私達に必死に伝えて頂きました。
最後に、東野医師からこれからの医療を担う若手医師と医学生へ「これからは医師も政治に関わることが重要。政治に対する考えをメディアや他人に流されることなく持って下さい。」とエールが送られました。
医学生の感想
小・中学生のときに戦争についての授業はあり実際の体験も聞いたことはあるが、九大生体解剖事件は名前を聞いたことあるだけで詳しく内容を知らなかったので、医療の現場でこのようなことが本当に起こっていたことを知り、驚きと医学部に通う身として辛い気持ちになった。今起こっていることも、メディアに流されずしっかり勉強していかないといけないと思った。
九大生体解剖事件とは
1945年に九州方面を爆撃に来たB29が日本の特攻隊機に撃墜され、搭乗員が落下傘降下。住民に捕縛された9名の米兵は情報価値のある機長を除き8名が裁判をせず処置が西部軍に委ねられた。
それを知った九州帝国大学(現在の九州大学)詰の小森軍医は第一外科の石山教授と共に生体解剖実験に供することを軍に提案。これを軍は認め、捕虜8人は九大に連行された。そこでは代用血液として開発が進められていた海水の血液への注入や、肺の切除、心臓の停止実験などが行われた。
東野医師は当時19歳の医学生として教授の雑用係をしており現場を目撃している。当時の関係者としては唯一の生存者である。
【著書案内】 『汚名「九大生体解剖事件」の真相』東野利夫著 文藝春秋
千鳥橋病院は、命を守る医療者・福祉従事者の立場から、戦争反対、反核平和の取り組みを行っています。